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【項羽】 前漢時代の英雄達総合 【劉邦】

1 :張春華 ◆Shunka/GUM :2006/10/24(火) 01:16:57 ID:S4L2WEFX0
中国前漢の建国の経緯〜王莽の簒奪までの人物達の総合スレです!

建国の経緯:項羽と劉邦が激しい戦いの末、劉邦が前漢を建国(*・ヮ・*)
劉邦死後:皇后呂后と呂氏一族が権力を握り専横を奮ったが、呂后死後陳平や周勃などにより呂氏全滅(*;ヮ;*)
文帝・景帝時代:この二人の皇帝は文景の治と呼ばれるほどの治世を行う(*^ヮ^*)
7代目武帝時代:霍去病、衛青、李広利ら中国を代表する名将が匈奴討伐に。さらに西域・南越・朝鮮なども征服、内政も充実し全盛期(*>ヮ<*)
宣帝時代:武帝が悪政をするようになり、宣帝になってからも霍光が権力を握ったりするが宣帝の治世が光る(*^ヮ^*)
滅亡:しかしその後は暗愚な皇帝が続き、最後は外戚の王莽によって簒奪されて滅んだ(*;ヮ;*)


何年も続いた中国の王朝、その中には英雄達が大勢います!
彼らを語りましょう!!

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 01:26:28 ID:rYha7Oy40
とりあえずは衛青

東漢の対匈奴戦争の英雄

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 02:12:01 ID:MrQnEw320
悲劇の英雄・李陵(?〜前74)
 字は少卿。李当戸の子。李広の孫に当たる。若くして侍中・建章宮監となった。匈奴と度々戦って、騎都尉に登った。李広利
の下につくことを厭い、武帝に奏上して歩兵五千で別働隊を率いることとなった。匈奴の本軍に遭遇して善戦したが、ついに降
伏した。李陵が匈奴の単于に漢軍に対抗する戦術を授けていると、誤って武帝に伝えられたため、武帝は李陵の家族を誅殺し
た。漢への帰参の道を絶たれたため、単于の女婿となって右校王に立てられ、匈奴で重用された。昭帝の時代となり、霍光・
上官桀らが任立政を遣わして、漢に帰参するよう求めたが、李陵は応じなかった。匈奴にいること二十余年で没した。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 10:12:03 ID:x/hU9IuZ0
 霍去病(かく きょへい 紀元前140年 - 紀元前117年)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、
大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。
 衛青の姉、衛小児の子にあたり、同じく衛青の姉であり、霍 去病の叔母にあたる衛子夫が武帝に寵愛されて戻太子を
生んだことで皇后に立てられたため、親族にあたる霍去病も覚えが良く武帝に寵愛されていた。
 騎射にすぐれており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、紀元前121
年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により
権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。
 霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事から良く比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへ
りくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔
父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分達は豪華なテ
ントの下で宴会を開くような事をしていた。しかし宮廷でも兵士の間でも霍去病のほうが人気が上であった。衛青はへりくだ
りが度を過ぎて媚を売るような所があったらしく、また霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていたようだ。武帝も自身の性
格から積極果敢な霍去病をより好んでいた。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 10:48:52 ID:ls0BDsa60
飛将軍李広

6 :張春華 ◆Shunka/GUM :2006/10/24(火) 14:22:00 ID:D/G/nD/j0
>>4
霍去病については人気もあり、語るところも多そうなので独立スレを立てました♪
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161664110


7 :sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/10/24(火) 14:29:29 ID:RP1DHPdZ0
浅学ながら、前漢の人物なら張騫が好き。
あの時代に匈奴を超えて遠く離れた月氏に行こうなんて男らしいじゃないか。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:22:02 ID:I+OijTzU0
韓信最強スレはここですか

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:27:51 ID:WJXOjL0Z0
>>7
あの時代に、あれだけの行動力を見せた張騫は凄い。

>>8
 ††国士無双††   韓信   ††背水の陣††
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161627559/

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:57:24 ID:p6hSK/du0
大きく分けると、楚漢戦争時期の英雄と、
西漢の対匈奴戦争時期の英雄に分けることができるね。

楚漢戦争は、別にスレがあるから、ここは対匈奴戦争の英雄たちについて語るべきだろう。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 20:28:11 ID:6IO3YM3P0
となると、衛青、霍去病が中心となるが、この2人のスレも既に立っているし…

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:52:20 ID:EA2GaG9NO
傅介子って暗殺者はある意味カコイイ

13 :sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/10/24(火) 22:58:31 ID:sV4hr95NO
>>7
だよね! あの頃は今みたいに正確な地図もなかったろうし、匈奴って
言ったら昔から遺恨があった危険地帯だったんだから、
そこを越えて未開の、遠く離れた国の文化に触れた彼は本当に凄いと思う。


私事になって申し訳ないんだけれど、横山とKOEIの三国志から中華の歴史に興味を
持った人間だから、そんな時代に既に遠くまで旅した人が居たなんて
思うとアツい歴史の探求ロマンを感じるんだよ。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 08:59:22 ID:o3xkLot+0
李広か可哀想

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 09:19:00 ID:Dxm3QFEy0
前漢が建国してからの粛清の話はひどいね

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 18:12:09 ID:V3dQq19u0
高祖の粛清は外様に限ったもので後の明太祖のと比べると
まだ優しい方だ。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:30:55 ID:X6f4Dp+60
朱元璋の粛清は徹底していたからね。
皇帝の絶対独裁権力確立のために、皇族を除いて疑いのある者は殺し尽くした。

だけど、残った皇族が仇にw

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:37:30 ID:zyHwpQIs0
同じ腹から生まれても信用できないのは煬帝が示してくれたからな
まして叔父甥じゃ望むべくも無し

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 10:04:47 ID:BavDBui30
 周亜夫は若い頃から、父と同様に軍人として活躍し、匈奴が漢の領域に侵攻してきた際には、文帝から、一軍を率いてその防衛の
一翼を担うように命じられる。

 それから間も無く、情勢が安定すると、文帝は国の守りに力を尽くしてくれた将兵を慰問したいと、各陣営を訪問・閲兵した。どの陣
営も和気藹々とした雰囲気で、文帝を迎えたが、周亜夫の陣営のみが

「ここは戦陣なので、皇帝陛下にもそれなりの作法で閲兵して頂きたい。」

 と言って、文帝にも陣中の作法を守らせて、陣営内でも下馬をしたうえで通行させるほどであった。

 後でこのことを知った、文帝の側近達は、

「なんと無礼なやつだ。」

 と、周亜夫を非難したが、文帝は、

「あの男こそが、真の将軍たる人物だ。」

 と、彼を褒め称え、死に際しては皇太子(後の景帝)に、

「もし大がかりな戦争が起こったならば、周亜夫を軍の総帥にして事態を解決しろ。」

 と遺言したと言われる。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 13:17:54 ID:5ZA7Fjqp0
蕭何の後の丞相って陳平だっけ

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 13:19:18 ID:I2ypOsM50
いや
確か曹参だよ

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 13:19:50 ID:M7M267blO
曹参(相国)

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:07:25 ID:NLoxtnrf0
楚漢に興味持ったんだけどさ
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」読めばおk?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:08:23 ID:ZB/RNaZw0
横山のほうがいいよ

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:11:38 ID:NLoxtnrf0
司馬のなら家にあるんだけどなぁ・・・。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:35:45 ID:KENND1UvO
個人的には司馬さんの方がオススメ
登場人物に個性があって面白い

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:43:53 ID:5ZA7Fjqp0
司馬作品以外の楚漢戦争全体を扱った長編小説って他にある?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 15:43:16 ID:yJ2x4z2C0
>>23
横山は劉邦に有利に描きすぎてて史実からだいぶ離れてる。
項羽も劉邦もあんまり魅力的な人物に描かれてないし。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:36:06 ID:J3WpbWcV0
基本は司馬遼太郎だろうな。
小説読むの面倒なら、今BSでドラマを放送している。

30 : ◆KENSIzzDJg :2006/10/28(土) 16:39:58 ID:EQoZM4IC0
と、言うことで司馬さんの小説買ってきたオレ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:36:07 ID:M7M267blO
司馬遼太郎は「劉邦の名前」などのヨタ話を鵜呑みにさえしなければ、流れを知るためにもいい
もちろん小説として面白い

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:51:31 ID:q28Qj66t0
司馬小説で最初に読んだのが項と劉だった
その次が歌人と竜馬がいく

33 : ◆KENSIzzDJg :2006/10/28(土) 18:02:58 ID:mjd1Dzdo0
なんか項梁カッコいいぞ^^

あー、ここは前漢スレだから
項羽と劉邦スレの方に行ったほうが良いのかな?

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 23:20:48 ID:d3fxfyM60
移動したほうが良いだろうな。ココは建国後のスレだから。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 00:45:32 ID:/C8v3riaO
スレタイには項羽って入ってるけどな

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 00:53:58 ID:Ys3lDyyvO
厳密には項羽は秦末の英雄だね

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 01:07:46 ID:7wwVhlbE0
文帝(劉恒)も英雄だろう

租税完全免除なんて羨ましすぎる

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 01:12:33 ID:/C8v3riaO
細かい事だが免除は田租だけだな
人頭税や徭役や兵役はそのまま

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 01:34:23 ID:7wwVhlbE0
あ、人頭税はそのままだったのか。
スマソ

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:20:17 ID:26deI4230
周亜夫

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 16:06:15 ID:Pf/hn7KC0
文帝は経済政策は散々だったけどな

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 17:02:51 ID:/C8v3riaO
散々というほどかな?
貨幣問題のことを言っているのかもしれないが。

まあ文帝、景帝の「垂拱の治」は豪族による兼併を放置した側面などもあるから、よく言われるような手放しの賞賛は妥当じゃないとは思うけどね。

あと前の補足だが、租の免除は田を捨てて末業に走った者や豪族の庇護下に入った者を帰農させるための政策。
損して得取るみたいな感じ。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 20:52:46 ID:z5SLeeYr0
呂后は有能な政治家だったみたいだね

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 20:57:13 ID:nrXcAcAA0
有能な権謀術数家であったが具体的に何かしらの政策をした訳じゃない。
まあ匈奴の挑発に乗らなかったのは賢明と言える。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:06:02 ID:MiGEkORX0
明快に冒頓単于

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:17:38 ID:aHEW/nXuO
皇帝の能力では
武帝、宣帝、哀帝が三強
名君かどうかとは別だけど

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:08:07 ID:Mxq5a4G70
言っちゃ悪いけど張良が最高の人物だよ。
揚げ足のとりようがない。
誰にも疎まれないところと、中立的且つ公正で陰謀無しで登りつめ、
自分の成したことに責任と自信を持ち、満足できたところがすばらしい。




48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:48:06 ID:qcYHtY3f0
張良って政治家としての才能はあったのかな

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 14:59:32 ID:1fYhM/hGO
言っちゃ悪いけど張良も隠遁後は戴けないよ。何故韓信や英布、ハンカイなどの功臣討伐を諫めなかったのかな。他の事には手出ししといて。それをしなかったが為に謀反は続発した。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 15:20:49 ID:JiEmqUdw0
漢が長期政権だったのは結果的に初期の荒治療というか静粛があったからだと思う
日本史を例に挙げてごめんなさいだけど
足利尊氏は気前よすぎて外様が力をつけて後に応仁の乱とか起きたし
人は一代、御家は万代みたいな考えはあったかどうか分からないけど

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 17:30:05 ID:mL2kAQAk0
戦争を勝利に導いたのは張良の功が大きいのかな?
劉邦の勢力を作り上げた点では蕭何の功が圧倒的だと思うが。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 18:08:33 ID:OcgIM3MR0
劉邦が匈奴討伐に出陣する際に張良は何らかの進言をしたのだろうか。
敗退するのが分かってて沈黙していたとしたらとんでもない奴だが。


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:26:22 ID:1fYhM/hGO
張良は漢作った後は知らんぷりしてたらしい。この辺が責任感無いよね。自分の理想を実現出来るような奴はいないと絶望して匙を投げたのか、面倒だったのか。この人は多分凄いインテリであらゆる意味で理想主義者だったんだろうな。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:47:41 ID:JiEmqUdw0
張良は項羽に韓王を殺されたから復讐として劉邦に手を貸してただけじゃないの
統一後の国家運営なんて興味なかったとか

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:55:32 ID:1fYhM/hGO
そう考えると張良の好感度下がるよね。なんだか利己的に人殺しに励んだ天才って感じ。まぁ無私の役人などいないということか

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:34:27 ID:OcgIM3MR0
韓王信が冒頓単于に帰順してしまい、同じ韓の出身の張良は猜疑を受ける立場になってしまったのかもしれない。


57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:38:48 ID:9AjiD4XmO
そういう点では漢の社禝を守った陳平の方が張良より上かもね

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:47:33 ID:1fYhM/hGO
ネタ振りだけど、氾僧って本当に愚鈍な軍師だったのかな?政策も戦略も統べてポシャッてたらしいが、これは漢が勝ったから記述されたことではないだろうか?

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 22:23:43 ID:fYsTOiPL0
×:氾僧
○:范増

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 01:17:56 ID:kwp1zpVwO
功臣粛清の状況を考えたら下手に進言して手柄をたてたりして警戒されるより、我関せずの方が賢いと思ふ。

封地に留を自ら選んだ様に粛清されない為に気を使った張良…乙

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 02:24:21 ID:Rr26z8E50
>>60
劉邦に3万戸やろうって言われたのを「陛下と初めてお会いした留の町をいただければ十分です」
とやんわり断ったあたり、大きな領地を持ったらいずれ警戒されるのを見通してた感じだな。
実際、劉邦に仕えて以来、他人に警戒されたり嫌われたりした形跡が全くないもんな。
蕭何ですら功績第一位に推された時、前線で戦った武将たちの不満を買ってるのに。
他人に全く警戒されないってのは策士として超一流の証だ。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 16:46:17 ID:LsJJvIj7O
>>58
主君があれではなア。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 16:58:44 ID:paAGZ4v9O
ただあの主君が曲がりなりにも王となったのは范増の功績が大だったことの逆証とも言えるな。
歴史は勝者によって作られる。だから、史実には范増が献策して成功したものが只の一つも(ここが重要)残っていないのではないだろうか?

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 18:01:02 ID:kjdj6lnpO
羊飼いを楚王に据えて反秦連合の求心力にしようと献策したのは創作?

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 13:33:09 ID:Ih508dKX0
羊っていつ頃から家畜になったんだろう?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 18:08:39 ID:/zuZ/Ivh0
代用品になるとある男が気づいた時

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:46:34 ID:E48TbY9qO
>>53>>56>>60>>61
老子の言葉に「功遂げ身退くは、天の道なり。」「足るを知れば辱められず、止るを知れば殆うからず。」という言葉があるが
老荘の徒の張良は正にこれを実践したのである。
また若い頃からの夢である仙人に本気でなろうとして穀物断ちを行い心配させる事により呂后の猜疑の目をも躱している。
張良の一連の行動は始めから計画されていたのだ。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 02:22:33 ID:s34TCRik0
> 老子の言葉に「功遂げ身退くは、天の道なり。」「足るを知れば辱められず、止るを知れば殆うからず。」という言葉があるが

そう考えると儒教は大変だよな。
死しても忠を、それよりも孝を果たせだからな。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:19:18 ID:9lDE+jB3O
>>64
はっきりとは分からないけど、逆に信憑性がない?
項籍を王にしたければ、わざわざ范増も、王をたてようとは言わない。
発見しちゃって、王にせざるを得なかった。
だから、その求心力を逆効果にしてしまう壊王暗殺についても止めな
かったとか?

え〜え、釣りですとも

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 18:38:57 ID:JH761cSLO
陳平の人間の心理を巧みについた権謀術数と高祖も政治家としての素質を見抜けなかった才能が好き。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 13:03:47 ID:dC0XunPP0
呂氏の一族から英雄らしい者は出なかったんだろうか?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 21:46:29 ID:rnG4/WcxO
項籍との戦争の時から呂族の名将を聞かないね。
あの頃を経験してないとなかなか武門を学ばせることは出来ないかも…。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 14:42:11 ID:O8SaJtfJ0
呂氏の一族ってのは武門として向いてない一族だったのかな

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 23:11:21 ID:s/xRX8m+0


75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 10:23:17 ID:IZtifpwf0
呉楚七国の乱平定の最大の功臣

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 23:11:06 ID:O61ywnvL0
霍氏は呂氏の失敗を検討しなかったのだろうか?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 02:09:17 ID:NazreWWMO
>>76
呂氏の時と違って諸侯王はロクなのがいないし、大臣はあらかた自分の与党だし、敵はいないと思ったんだろうね
まさかただの傀儡だと思ってた宣帝自身が最大の敵になった上、張安世や魏相みたいな奴らまで(霍氏から見ると)余計なことをするとは思わなかったんだろう

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 13:07:32 ID:ru5o6rh90
劉邦登場以前って、劉という姓は珍しかったの?

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 20:26:52 ID:gFs4AX0B0
>>78
http://shibakyumei.hp.infoseek.co.jp/jiten/sej/R.shtml#005

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 23:58:53 ID:VrroZAlQ0
劉<りゅう>【氏】

 @帝尭の子孫が名乗った。祁姓。
 A晋の士会の子孫が秦に残って劉氏を名乗った。祁姓。(春秋)
 B周の頃王の子が劉に封じられ、封地名をもって氏とした。姫姓。(春秋)
 Cその他にも劉氏があり、漢代以降さらに増える。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 03:43:44 ID:mxc3sHGOO
呂馬トウ

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 23:01:26 ID:AfLa1Gt70
前漢末期で、確か劉姓の皇族が数万人に達していたんだよね。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 10:58:13 ID:pOag7Fkq0
劉秀にしても、田舎の豪族という感じだったでしょ。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 14:04:53 ID:0U9nnT6P0
陰麗華は美しかったのか

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 12:14:31 ID:w8Tsxxw+0
そりゃあ、標準以上の美人だったと思われ。
客観的に見て絶世の美女だったかどうかは疑問としても、
劉秀があれだけ寵愛したんだから、容姿も平均以上と思われる。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 19:17:00 ID:ILldww7z0
劉秀という人物像が、かなり庶民的な感じだから
麗華さんも絶世の美女という類ではなくて、かわいい感じだったと妄想する。
あまり笑わないそうなので、人によっては冷たいイメージを受けるかも。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 16:07:03 ID:xdpB2Y0N0
姓からして“陰”だから、あまり陽気なイメージは出て来ない。

88 :国重高暁 ◆takawYpCqc :2007/07/19(木) 15:52:07 ID:CJ8DboaQ0
漢建国の功臣・蒙恬。
北伐に活躍した上、毛筆を
作ったという記録もあるのに……
霍去病や衛青よりマイナーとは(T_T)

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 18:54:34 ID:WuhV5Je4O
漢じゃないですよ

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 19:31:18 ID:ySY2jQpa0
>>88
蒙恬は秦の人ですよ。
毛筆なんか作ってないし。
間違いを堂々と書き込まないでくださいね。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 23:34:14 ID:mDlDkSMs0
>>90
作っていないというソースを。
でないとそっちが捏造を堂々と書き込むことになる。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 23:42:32 ID:SVpBWxrm0
チン毛で作ったとかどうせそういうネタだろ

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 01:07:31 ID:cvHGxUDpO
毛筆くらい秦帝国以前の戦国時代からあったんじゃないの?

戦国時代の竹簡の写真を見たことあるけど。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 01:28:35 ID:Wl8auhMJ0
「作った事実がない」ことの証明は、悪魔の証明であって無理を強いるもの。
「蒙恬が毛筆を作った」と主張する側が、作った事実を証明すべき。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 16:14:10 ID:BUd/KAb40
作っていない事実なら、以前から毛筆はあったことを
証明すればいい

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 22:19:10 ID:qhj4u1Do0
蔡倫の紙だってちょっと怪しいしな。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 22:33:04 ID:+neI57710
どうやってケツふいてたんだろう

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 21:57:22 ID:64vIxJMgO
>>96
蔡倫の紙は新規の発明じゃなくて、改良した物だったと陳舜臣が書いてたような・・・

つまり、性能を著しく向上させたってことになるのかな。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 00:53:20 ID:2oLykv/10
前漢代(だったと思う)の墓から崩れかけた紙が出土したことがあるらしい
でも、紙が爆発的に普及したのは蔡侯紙から
昔と比べて、製造費が安くなったのか耐久性が上がったのかは知らないけどね

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 01:25:21 ID:r6/MZsRa0
「洛陽の紙価を貴からしむ」が西晋の話ということは、
当時は紙はいちおう普及してたが、需要が増えると
値段が高騰するぐらいには貴重品だった・・・

そうすると、漢代に紙が本当に普及してたかはちょっと分からなくなる
「洛陽の紙価」は比喩的表現なんだろうけど
しかしスレ違いだな

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 02:29:12 ID:vzAZJLXt0
現代だって米やら野菜が不作なら高くなるし、ガソリンなんて高くなっていやになるくらいだぜ
でも普及してるよ

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 11:20:21 ID:RMo4BaF80
そりゃそうだが、紙は現代のように簡単に書き損じたり
鼻かんで捨てたりできるほどには普及してなかった、という意味ね
呉の朱然の墓から木簡は出てきたが紙はなかったはず

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 11:44:24 ID:2F/fUuH70
秦の時代に、書きやすいように書くものを統一して、筆とよんだんでしょ
それが不遇の臣である蒙恬の功績になったという話

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 12:47:35 ID:DB5o6prs0
秦に仕えた武将は不遇な死に方した人ばっかだね


105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 21:51:57 ID:EvwynN0Q0
章邯とかね。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 12:55:09 ID:vepYXGDj0
褒美ねだりで全うした爺様が光りますな

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 10:29:07 ID:Jipg5bY50
游 侠

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 02:14:54 ID:eYZeOu4U0
王翦は、子孫も栄えたしね。 蒙恬なんだけど、こいつと扶蘇は
防衛用に結構な兵力を保持してたらしいけど、2世の即位、二人自殺後
この大軍はどこへ消えたんだろう。

章邯は囚人部隊までつくらざる得なかった。それほど逼迫していた秦軍。
いくら北方の守備とはいえ中央のピンチに北に大軍置いたままてのも・・

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 15:59:27 ID:7RcgKZXe0
>>108
北の大軍は反乱軍に加わったんじゃないの?
おそらくは武臣の軍に吸収されたものと思われる。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 19:47:00 ID:J4Km1QLC0
北方の主力軍って、王離の率いてた軍のことじゃないの?

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 22:50:02 ID:+ngb3lzw0
李由とかが率いていた軍なんじゃね?

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 00:18:07 ID:ANbQILA90
李由は三川郡太守

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 00:20:34 ID:LlaPrLHG0
>>112
いやだから北方から配置転換したんじゃないのかと

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 01:16:02 ID:YgLni7qb0
匈奴に編入されて漢を苦しめたとか{{要出典}}

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 01:17:50 ID:LlaPrLHG0
>>114
確かに匈奴には「秦人」と呼ばれる農耕民もいたからな

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 15:06:24 ID:j+i3+VgM0
>>115
拉致してきた連中?

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 16:17:41 ID:IVEPfF6w0
>>115
匈奴の版図での農耕地域って、漢との国境沿いが多いと思うけど、
北方の方、バイカル湖周辺などでも多少は農業できたのかな?

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 21:18:49 ID:pnNQEch8O

愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 20:45:05 ID:8GEHRkIG0
バイカル湖の周辺って冬湖が全凍結するくらい極寒地帯だからなぁ。

周りは平原って感じがするから、農業よりもやっぱ魚とったり動物取ったり
のほうがいいんじゃね?果物やキノコとか取れるらしいから採取がメイン
なんじゃないかな〜

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 00:44:16 ID:KQIe6y2H0
陸賈好きだなー


121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 22:14:36 ID:4/ARwN8n0
前漢って五行でいうとこだと火ってよく言われるけど張蒼が
暦整理した時は、秦と同じ水で黒だってことになってたよね?

ここら辺前漢時代はどういう解釈だったんだろう。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 13:33:16 ID:7NsCeSqo0
>>121
武帝の頃には漢は土徳=黄となった。
火徳ということになったのは王莽の頃で、それが後漢にも引き継がれた。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 20:52:12 ID:cy5+BZcVO
>>86 荒川静香みたいのを想像
いやスマソ

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 13:15:28 ID:NSf3bGtf0
【楚漢】大漢風〜項羽と劉邦〜二巻目【風流】
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/tv2/1192856892/

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 13:00:52 ID:nA8kZkNc0
糞スレ立てんなアホが。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 13:05:01 ID:XaZ9ES1f0


127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 13:52:44 ID:/y4L7esB0
国内最大、前漢時代の陶製の棺が出土―重慶市

 2008年1月6日、重慶市●陵区(●は培の偏をさんずいに変えたもの)の遺跡「平安村墓葬群」から中国
国内最大となる長さ1m93cmの陶器製の棺が発見された。重慶商報が伝えた。

 「平安村墓葬群」は長江のほとりにあり、三峡ダムの貯水が進めば水没してしまうため、緊急に発掘が
進められていた。6日、新たな墓穴が見つかり、陶器製の棺が発見された。棺のほかに大量の皿や壺、
陶器製の人形、鳥、犬などの副葬品も発見された。

 同遺跡は約2000年前の前漢時代のもの。陶器製の棺は出土例が少なく、極めて貴重。これほど大きな
棺を作るためには専門の窯が必要で、埋葬者が富裕であったことがうかがえるという。
http://www.recordchina.co.jp/group/g14564.html

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 13:53:16 ID:/y4L7esB0
盗掘無残!荒廃した「杜陵」の“今”をカメラがルポ―陝西省西安市

 2008年1月7日、チャイナフォトプレスは10余年前に大規模な盗掘被害にあった、漢代の名君「宣帝」とその
皇后の墓である「杜陵」の現状のルポを配信した。

 陝西省の古都、西安市はかつて1000年にわたって王朝として栄え、歴代皇帝の墓が多数残っている。中
でも「杜陵」は西漢時代(紀元前206年〜紀元8年)の皇帝の中で最も埋蔵品が多い墓と言われている。その
ため盗掘犯にとってはまさに「お宝の山」。広大な敷地では殉葬者の墓も含めた一群が、どれも無残な穴と
化している。周囲一帯には瓦片が散らばり、掘り起こされたばかりの真新しい土の山も見える。

 盗掘犯が狙っているのは、「瓦当」(がとう)と呼ばれる文字や模様が描かれた筒瓦の先の部分。魔よけや
吉祥を意味する。その文字は「瓦当文字」と呼ばれ、今でも篆刻やはんこなどに好んで用いられるという。

 現在、警備の方がどうなっているのか?「杜陵保管所」の職員は、「この広大な敷地を職員数人と2台の
バイクだけで見回るのは無理」と嘆く。しかも最近の盗掘犯はハイテク化しており、以前よりさらに捕まえに
くくなっているという。

 盗掘犯はお目当ての「瓦当」だけを持ち去るために、貴重な歴史文化財である筒瓦をどんどん割っていく。
中国人すべての財産である「杜陵」を守る方法はないのか?とルポは悔しさをにじませている。
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g14536.html


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 15:11:27 ID:JGiRxsGA0
>>128
宣帝のお墓、そんなことになっていたのか

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 02:06:53 ID:73xnrRJEO
こっちにも書いときますが
明日の、つまり日付の上では今朝だが
朝5時からのNHK教育で放送する
知るを楽しむ 歴史に好奇心にて劉邦と韓信についてやるとか
何でも嫉妬にまつわる特集らしいです。

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