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【成皇帝】袁術様について語るスレ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 00:48:20 ID:S2U5HoWV0
何かと失策が目立つ彼ですが、
一時は袁紹と共に最大勢力の一つでした。
陛下について語ってみましょう。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 00:49:06 ID:l3uP2+b80
何で国号を成にしたのか問い詰めたい

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:33:31 ID:KtFETgtV0
陛下ほど下種で、陰湿で、落ちぶれた男も珍しい。
でも陛下麗しいよ陛下

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:51:30 ID:QqhT+slP0
一応wikiから

 袁術(生年不詳- 199年)は後漢末期の群雄。仲の初代皇帝。字は公路。父は後漢司空の袁逢。袁紹は異母兄とも
従兄ともいわれる。同母兄は袁基。袁術は袁氏を陳の宣公時代の大夫・轅濤塗の末裔(轅濤塗は帝舜の血脈)と称し
た。

御曹司から諸侯へ
 若いころは侠気をもって知られ、仲間達と遊びほうけていたが、後に行いを改め孝廉に挙げられ、順調に昇進し河南
尹、虎賁中郎将に至った。

 189年に霊帝が崩じた後、袁紹と共に政事を跋扈する宦官数千名を誅殺する。その後董卓が都に入ると、後将軍に
任じられたが、害が及ぶのを怖れて荊州の南陽へ奔った。長沙太守の孫堅が南陽太守を殺害したため、袁術はその
後任に収まり、南陽郡を支配し、孫堅を豫州刺史に任じて董卓を攻撃させた。南陽郡は人口が多く豊かであったが、
袁術が贅沢を尽くし、税を際限なく取り立てたために人々は苦しんだ。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:52:19 ID:QqhT+slP0
二大勢力
 袁術は袁紹と対立しており、それぞれ群雄と手を結んで争っていた。袁紹についたのが曹操、劉表、韓馥ら、袁術に
ついたのが孫堅、公孫瓚、陶謙らである。袁紹が董卓のたてた献帝に対抗して、劉虞を擁立しようとするが、袁術は真
っ向から反対している。

 192年(初平3年)、孫堅に命じて劉表を攻撃させたが、孫堅は敗死する。

 193年(初平4年)、兗州の曹操を攻撃するも曹操と袁紹の連合軍に大敗、揚州へと逃走し、寿春に拠る。

 李カクが長安に入ると、袁術と手を結んだ。

 その後、孫堅の遺児である孫策に揚州を攻略させ、楊州刺史劉繇を撃たせるなど勢力を拡大するが、奪った領土は
袁術子飼いの武将に分け与えられた。この行為は孫策の反感を買い、後の離反へとつながった。

 ちなみに、その時に幼少であった陸績が袁術の元におり、袁術が陸績におやつとして蜜柑を与え陸績がそれを母親
に食べさせたいからと言う理由で隠し持って帰ろうとしたことが判り「とても親孝行な子供だ」と自ら褒め称えたという逸
話が二十四孝として残っている。

皇帝即位
 197年(建安2年)に彼は寿春を都として皇帝に即位した。「国号を成と称号し、元号を仲家としたものの諸群雄の同意
を得られず、また袁術本人の奢侈により人心を失った。」などという俗説が有名だが、それは誤解で、いわゆる国号が
仲である。おそらく『後漢書集解』にある「仲氏(仲家)とは劉氏の漢家や公孫述の成家のように」国号である、との文を
読み違えたものと思われる。

 しかし献帝はまだ健在であり、諸侯からは皇帝として認められず、また袁術自身が欲望のままに快楽を求めて、国内
に重税を布いて贅沢三昧の生活を送ったため、国民は大いに苦しんだ。この無茶苦茶な暴政に袁術の家臣の多くも袁
術に見切りをつけ、離反する者が相次いだ。孫策も皇帝即位を諫める手紙を送っているが、納れられず離反している。

 だがこの時に呂布と同盟をしており、諸侯が呂布討伐で苦しんでいたため他国からあまり攻められはしなかった。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:53:33 ID:QqhT+slP0
惨めな最期
 呂布滅亡後、曹操らに攻められ国を失い、部下の雷薄、陳蘭を頼って落ち延びたが受け入れてもらえず、199年(建安
4年)夏6月に袁紹の元へ逃げる途中に病死した。韋昭の『呉書』によると、蜂蜜入りの飲物を所望したが、蜂蜜も無かっ
た。そこで「袁術ともあろうものがこんなざまになったか」と怒鳴り、一斗(当時は約1.98リットル)余りの血を吐いて死ん
だという。

 袁術の妻子は、元の部下の廬江太守劉勲に身を寄せ、孫策が劉勲を破った際に孫策に保護された。袁術の娘はその
後孫権の側室となり、息子の袁燿も呉に仕官している。娘(袁夫人)は行いは正しかったが、男子は生まれなかった(女
子については不明)。また、他の夫人の産んだ子を何人か彼女に養育させたが、いつも育たなかった。実質的な正室の
歩夫人が死去すると、皇后に立てようとする動きがあったが、袁夫人は辞退した。のち、潘夫人(孫亮の母)の讒言によ
り、孫権に殺された。

 『三国志演義』では「伝国の玉璽」を得た事が皇帝僭称の直接的な動機になったとしている。また、袁術の死に関して
は、曹操から袁術攻めの協力を求められた劉備の義兄弟・張飛の配下の山賊に兵糧攻めにされて、最後は大好物の
蜂蜜が無いのに怒り、血を吐いて死んだと書かれている。三国志演義では袁術最後の話には他にも諸説が作られ、甥
の袁胤のみが生き残り飢えと苦しみの中歩き続けとある農家に辿り着き水を求めるものの、その農家の主人は昔袁術
が支配していた町の市民であり、水が入った瓶を割って飲み水が無くなったことを告げると「栄華を誇っていた俺にはも
う民心は付いてこないのか…」と落胆し、血を吐いて死亡するという話がある。

 更に、横山三国志では、憔悴しきった袁術が農民に、「帝の袁術じゃ。水を持って参れ」と命令したが、農民は客が袁
術と知ると目の前の水瓶を割って「水はさっきまであったがね、今なくなっちまった。この身体に少しは血が残ってるが、
それ以外は全部お前に吸い取られてしまった。今度はわしを殺してそれさえ持って行きなさるのかね」と吐いて捨てる
様に言われ、「俺はもう一人の民も持たぬ王だったのか。水の一杯さえ恵んでもらえない国王だったのか。そこまで人
心は離れていたのか」と慟哭、吐血して絶命しており、とことんまで民に憎まれた袁術の末路を劇的に表現している。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:20:07 ID:raJQyOme0
劉虞擁立に反対しておいて、自分が皇帝なるとかバカかと

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:29:17 ID:X6vs+Uuq0
せめて中原ぐらいは統一してから、
皇帝になって欲しかったな。

あの時点での即位は、早すぎるだろう。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 23:53:36 ID:fFUF7yqR0
新朝崩壊後、劉秀が群雄と闘いを繰り広げていた頃の、
自称皇帝たち(劉秀を含めて)も、必ずしも大きな勢力ではなかっただろう。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 10:48:00 ID:Btva4Cor0
成はコーエーの嘘
仲氏と称したんだから国名は仲である可能性が高い
>>8
早過ぎない
あのタイミングで即位しなければ漢帝からの逆賊認定で名声が地に落ち勢力崩壊
むしろちょっと遅いくらいだな

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 11:37:40 ID:nHZ+v/Yg0
やっぱ皇帝を僭称するのって周囲からは反感買うもんなん?


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 15:17:02 ID:0a13yIQF0
そりゃあそうでしょ。
何せ途中断絶も含めたら400年も続いた漢朝だし、
神聖不可侵とまではいかなくても、相当な権威が確立している。



13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 15:36:56 ID:Q9v0aX9LO
皇帝を名乗るってことは漢に対する反乱なわけだから、他の群雄としては
遺憾の意を表明しなきゃならんだろ。本音はどうであれ。


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 22:19:06 ID:ZtyCdL9v0
創業者に相当なカリスマ性がないと、
王朝の創業は難しいわな。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 08:21:46 ID:qz8iYDJKO
曹丕ですら禅譲って方法をとったのに、儒教道徳に反したやり方で周りが付いてくるとは思えない

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 23:38:28 ID:fWYfI4Xy0
三国志二十四大英雄
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 23:50:24 ID:5a0Z0OfY0
袁術様は東漢末期、三国時代を通じて最高の英雄也

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 23:59:42 ID:/iMYcUQj0
袁術様万歳

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 11:42:39 ID:1OL+ieuW0
武勇絶倫、神算鬼謀、清廉潔白にして漢きっての名族、袁術陛下万歳

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 11:28:33 ID:w8Tsxxw+0
伸びないな。
袁術さん、人気ないのか。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 19:53:43 ID:hh6neJUDO
ダッテこれといった魅力ないんだもん♪

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 21:05:50 ID:K94RWRDz0
「成」は光武帝劉秀と争った蜀の公孫述が皇帝を名乗ったときの国号。
ちなみに皇帝になった根拠は予言書に「代漢者当塗高」とあったことで、
袁術もこの予言を自分のことだと思ったから皇帝を名乗ったらしい。
ちなみに光武帝は「当塗高」は前漢の宣帝を指すと解釈し、
公孫述に手紙で教えている。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 23:57:07 ID:B/sbqid20
袁氏って名門だけど、経済面での財力もやはりすごかったのかな?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:53:03 ID:cWOO/YrZ0
三国志名将二十四選
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180016273/

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 12:52:48 ID:xynYwvVv0
えんすい えんじゅつ

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:46:22 ID:3EGqbRT20
>>23
南陽郡はわりと豊かな地方だったようだから、そこそこじゃない。
だけど、イメージ的には、袁氏が名門としての声望なのに対して、
曹操は祖父の代からの財力って感じ。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 00:27:19 ID:dXSfeOgf0
>>26
袁氏の本拠地は汝南なので南陽とはちょっと違う。
荘園収入もあるし、高位高官に派閥の人間を送ってるから
金銭的には非常に有利な立場にあったとは思うけど。
南陽は袁術が居座っただけ。

後、袁氏自身もそれほど歴史が長くはないんだよな。
というか、新しいタイプの名門だからなんだけど。
それまでの名門ってのは古代天子・諸侯の子孫や孔子なんかの子孫、
漢の建国の功臣の末裔だけど、氏族としての実態は問わないから。
三国時代頃を境に「名門」というものが指す実態が変わってくるから
ちょっと厄介だけどね。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 11:26:25 ID:S0iVFhuR0
袁氏もなんだかんだで濁流たる宦官勢力と結んで、
力を伸ばした一族だからね。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 12:35:38 ID:99JAuAno0
ところで袁胤って最後どうなったの?

( ´w`)<袁皇帝の顛末は高低ありすぎだね、ナンチテ

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 19:12:29 ID:7xHJe31Z0
>>29
死亡

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 19:52:33 ID:f1OcXiAY0
袁氏と前漢の袁盎とのつながりは?

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 02:55:50 ID:SgPqzkSd0
袁術って別に弱くも馬鹿でも無いよな?
相手が更に強くて賢かっただけで

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:17:08 ID:hDZ01Fc80
>>32
内政手腕に問題があるが、馬鹿ではないと思う

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:23:12 ID:Sqwy/epl0
>>33
そんなに内政手腕に問題があるようにも思えないが…。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:28:56 ID:hDZ01Fc80
>>34
南陽の疲弊具合からしてあまり良い内政をしていたとは思えない。
根拠はそれくらいだから、俺の勝手な解釈だと考えてもらって構わない


36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:34:34 ID:Sqwy/epl0
南陽は後に曹操が重い軍役を課して、
侯音っていう南陽人が反乱起こすほど搾取されてた土地だからな。

また、南陽を圧迫する直前に同じく南陽人の豪族・婁圭が曹操に処刑されている。
南陽から搾取する際に邪魔になる存在として始末されたのかもしれない。

結論:どうも南陽を荒らしたのは曹操で、袁術は責任を押し付けられただけくさい。

まあ、これも俺の勝手な解釈だけど。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:40:12 ID:hDZ01Fc80
>>36
把握した。


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 21:55:23 ID:E8+0XpTq0
淮南も袁術に搾取されてたぞ

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 22:03:42 ID:zfzF8q2F0
淮南はもっとひでーよ。
曹操によって民衆が根こそぎ強制移住させられてる。

やっぱりコレも「曹操が荒らしたのか袁術が荒らしたのかワカンネ」。

でもって淮南が「本拠地」だった袁術と、
本拠が別にあって淮南は「地方領地」に過ぎない曹操。
どちらが遠慮なく搾取できるかというと……うーん。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 01:59:54 ID:yhL21rvm0
陰武者でなくて、曹操本人の殺害に成功していれば・・・

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 10:39:58 ID:Qrncy8dn0
曹真の親父のことか

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 01:24:12 ID:V/+LVkqU0
袁術に負けて秦伯南を殺された時ってどういう戦況だったんだろうなー
曹操の陣営や隠れ家でも突き止めたんだろうか

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 08:53:36 ID:5YZjLQHH0
【昏君】 中国史上最悪の皇帝は誰?
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1166273828/

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 23:08:21 ID:ksVjoIXy0
「袁術とその配下を語りましょう」がいつの間にか落ちてたな
>>42
多分呂布がカク萌にやられそうになったときと同じシチュエーションだと思う

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 10:48:41 ID:cU3mV/sm0
対曹操のために呂布を引き入れたり、
呂布が袁術と協調しないとカク萌使って殺そうとしたり、
陳宮って袁術の利益になるようなことばかりしてるよな。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 11:30:34 ID:3FSpt1y00
各勢力に内通者を忍ばせていたって事か

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 19:31:50 ID:6Zny/P9X0
>>46
むしろ袁術に未来を期待して寝返ったってことじゃないの?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 20:23:13 ID:umeWICCoO
曹操の虐殺に反抗した陳Qが圧政を敷く袁術にすりよるとは

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 11:00:15 ID:8T3PfqpW0
百度百科『袁術』
http://baike.baidu.com/view/525130.htm

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 11:23:12 ID:bfDYn5j20
呂布が袁術に同盟しなかった理由って何だっけ?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 20:52:00 ID:sD4SGu9i0
>>50
チンケな野郎が恩知らずの陳瑀の件を逆恨みして妨害しまくったから

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 04:33:09 ID:21OE6XVP0
>>44
>「袁術とその配下を語りましょう」がいつの間にか落ちてたな

ほんとだ・・・しばらく見てないうちに落ちてる。
いろいろと議論できて、良いスレだったのになー

>>45
そういえば徐州攻略戦のときも袁術に味方してるよな。
陳宮も袁術も相当な曹操嫌いだったみたいだし、敵の敵は味方ってやつかな?

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 14:21:06 ID:y5LaC7/g0
半年経ったから沈んだのです。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 18:59:58 ID:i3SBxovR0
袁術も最初は曹操嫌いだったわけじゃないよね
誤情報だけど曹操が死んだって家族に教えに行ってあげてるし

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 18:17:39 ID:T9e1uTli0
袁術は人を見る目が無かったんでしょうか?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 00:29:28 ID:yUJeDMlc0
>>55
陳瑀とか見るとそうだね
でも魯粛とか見出しても断られてるし人望がいまいちなのもネックだね
あと孫堅とか鄭泰とか、優秀なのがさっさと死んでるのも痛い

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 08:14:26 ID:PBQqVHXY0
朱儁なんかは董卓から袁術に寝返ってるんだから、
漢室を尊重する人物からは結構人望があったんじゃないかな。

魯粛は赤壁あたりでの立ち回りを見ても解るけど、
漢室を尊重する意志はあんまりないっぽいし。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 15:03:52 ID:Tlql9MW40
南陽近辺って、漢代には最も富裕な地域だったのかな。
江南はまだ未開の地だったわけだし。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 21:03:48 ID:r4/oouYo0
240万人いたっていうからね
http://www.weblio.jp/content/%E5%8D%97%E9%99%BD
でも黄巾が荒らしたから疲弊してるし
袁術が荊州中の兵を集めて董卓討とうとしたら劉表に後方占領されて補給止められて
南陽だけで荊州中の兵を養わなきゃならないはめになったからだいぶ苦しかったはず

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 21:14:30 ID:r4/oouYo0
南陽太守だけで賄賂数十億銭手に入るってのもすごいよね
http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%90%E7%92%86

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 17:31:19 ID:A6OC4ylI0
袁術って、存在自体がゴミ同然だったよなw

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:04:02 ID:f1NWk2+J0
釣りにしても酷い。
その袁術ににしてやられた曹操や劉備や養って貰っていた孫堅はゴミ未満か?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:21:22 ID:AuLbay7k0
そういう問題か?
ただ争いの種をばら撒いただけの輩という意味だろう。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:28:24 ID:20HL15Lk0
争いの種を撒いたのは寧ろ袁紹でしょ。
勝手に連合解散したり劉虞擁立しようとしたり。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:33:47 ID:AuLbay7k0
色々探せばどうとでも解釈できるさ。
ただ袁術様はどうしようもない馬鹿だった。
テキトーに天下を騒がせただけで哀れに死亡だ。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 02:06:01 ID:vErSGuCd0
テキトーでもなんでも天下を騒がせられる奴はあんまりいない

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 02:58:08 ID:f5Q5dOOG0
甘寧と張遼の勝者が唯一の豪傑
呂布と関羽の勝者は その次

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 02:59:03 ID:f5Q5dOOG0
甘寧と張遼の勝者が唯一の豪傑
呂布と関羽の勝者は その次

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 04:36:56 ID:DwY5LMoO0
袁紹も反董卓のはずなのに
董卓攻撃しようとしてた孫堅を周グ使って後方撹乱したり
董卓の任命した劉表と手を結んだり
ろくなことしてない

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 04:50:00 ID:WsmSkZTC0
>董卓の任命した劉表と手を結んだり
董卓の任命した官吏は至極まともな名士ばかり。
劉表と手を結ぶのは董卓打倒の目的からすると、むしろその方法は妥当だ。


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 10:38:13 ID:u6Ejoxdl0
袁紹と袁術はもっと仲良くするべきだったとは思う。
何かどうあっても同じ天を戴けぬ理由でもあったのだろうか?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 11:53:36 ID:MP0hFcEy0
袁紹が大人しく嫡流の袁術に従ってりゃよかったんだよ。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:34:12 ID:8zyeOCyo0
>>70
何故?
劉表と袁術&孫堅は互いに荊州の領有を主張してるんだから争いになるのは必至
劉表がいたら袁術&孫堅が董卓攻撃に専念できなくなると考えるのが妥当だと思うが

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:45:13 ID:HYj6Bp/x0
>>73
勘違いしてたけど、袁紹が劉表と結んだのは董卓のためじゃなくて袁術に対抗するためだった。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:47:11 ID:MP0hFcEy0
曲がりなりにも連合の盟主が、
董卓と必死に戦ってる袁術・孫堅の邪魔してるんだもんな。

まあ、本当に盟主だったのかも怪しいもんだが。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 08:53:43 ID:0wB9pyeE0
袁術の本隊は後方支援に従事して、実働は孫堅らの単独行動じゃないの?
袁術本人は戦下手というわけでもないのだから、
その後も、他人と盟約する事で楽に済まそうとしなければ良かったのに

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 21:51:55 ID:53d7ANdL0
>>75
袁隗と一族が殺されてるから盟主だったんじゃないの?
>>76
自分より出来る部下に一任するのはある意味正しい
それに南陽は裕福だけど
黄巾が荒らした後だから兵站は意外と難しいんじゃないかな

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 00:10:20 ID:ItXR3dXr0
>>76
孫堅は南陽で前任太守張咨を殺してたからかなり恨まれていた
あとで孫堅の共犯の劉祥が住民反乱で殺されるくらい
だから袁術は命の危険のある孫堅を外に出して
直接事件とかかわりのなくて後将軍というかなり権威がある自分が
その地にとどまって住民を落ち着かせる役に回ったんじゃないかな

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 15:54:40 ID:eHOPeQb00
南陽って後漢朝にとっては非常に重要な土地なんだよな。
光武帝も南陽の人だし、ケ禹などの建国の功臣連中にも南陽人が沢山おるし。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 20:05:54 ID:DAEXg1d90
前期は確かに最優先事項だったかもしれないけど、後期は頴川や汝南あたりの方が重要度が高くなってる。
穎川や汝南を敵に回すと、後が怖いからね。

(穎?頴?忘れた)

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 00:43:48 ID:eNQcca4I0
孫堅や孫策が袁術配下ってシナリオ三国志シリーズである?

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 10:55:20 ID:tco8oSY60
孫家を引き入れたのってどうなんだろう。
上手い事おだてて正当な褒章を与えても力を持ち過ぎて
結局離反しそうだし。ヘタしたら前任の荊州刺史の二の舞なような。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 11:07:54 ID:Nw/Q6DHR0
南陽って後漢初期には李、樊、ケ、来、陰氏等の豪族の力が非常に強い地域
だったらしいけど、後漢末ではそういった豪族連中はどうしてたんだろう?
やっぱ袁術に協力してたのかな?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 12:35:24 ID:tfZJezZ30
演義では曹操、劉備、呂布、孫策に四方で攻撃を受けることが可哀想だった

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 13:04:39 ID:QRf2JmqM0
でもその数年前には、
袁術・公孫サン・陶謙・張燕で袁紹・曹操をフクロにしようとしていたw

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 17:50:55 ID:VT8DtSdk0
そういえば傷寒雑病論のおっさんも南陽の出だな。
後漢にとってはかなり重要な意味を持つ土地だけど後漢末は
どうなんだろな。初期の豪族連中は光武帝の功臣系列が多いね。
南陽は戸籍が多かったみたいだから勢力基盤にはいいかも。

 

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 18:58:49 ID:CnIpYe+40
「河南(洛陽)は帝城にして近臣多く、南陽は帝郷にして近親多し」
と言われるぐらいだからね

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 02:33:50 ID:jmeVjRa00
何進一族も

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 21:08:14 ID:u04pqOEp0
>>85
陶謙は闕宣の件で曹操と対立したのであって
袁術とは連携してないでしょ

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 22:15:43 ID:7VYpanO90
>>88
董太后とは跡継ぎ争いもあるけど
董太后の甥に故郷を搾取されたのも対立の原因かな

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:55:23 ID:+tMs4fYe0
袁術は勤皇派ですよね?

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:57:21 ID:hVG/UiLZ0
袁術は劉備には強く曹操には弱い感じ

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 20:00:43 ID:zHXZrUXv0
>>91
当時の群雄の中ではかなり勤皇派の群雄と言える。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:05:20 ID:cihYbVK9O
献帝を奉じて漢の僅かに残る威光を天下取りに利用する戦略は袁術から曹操に引き継がれたね

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:33:35 ID:I/slhnt40
勤皇派だと思う理由は何で?もうちょっと詳しく
俺は袁兄弟は少帝には忠誠心あったと思うけど献帝にはなかったと思う
以下俺の想像に過ぎないんだが
袁兄弟は何進と結んで宮廷改革を行おうとしてて賄賂政治の董太后や十常侍と対立
その延長線上に劉弁と劉協の後継争いがあった。
それを何進も劉弁も殺されて劉協即位で董卓の乱脈政治
ここで何進と劉弁に明るい未来を描いていた袁兄弟は漢王朝に絶望したんじゃないかな?
あとはもう劉協無視で秩序回復を狙っていた
袁術って道徳的な政治を行いたいがために簒奪を行った王莽みたいな人間だと思う

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:36:54 ID:LpDqyfRd0
簒奪が成ってから皇帝を宣言すればその解釈もわかるが、
まだまだ群雄が割拠してる中で1人で勝手に皇帝になっちゃったら、単なる後先考えない馬鹿としか評価されない。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:46:13 ID:wBvi2C3o0
一地域で天子を名乗った前例は、すでに後漢時代には大量にあるとはいえ
漢の名家の袁術が皇帝を名のるのは流石に馬鹿というかありえなすぎw

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:58:53 ID:X+vlOjgi0
一地域で天子を名乗った最初の例って公孫述?

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 23:07:03 ID:wBvi2C3o0
黄帝子だの真人だの無上将軍だの天王だの黒帝だの
史料に名が残っているだけでも、.天子を名乗った賊は枚挙に暇を得ぬほどにいる。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 23:50:41 ID:bFR7duUp0
>>95
確かに、袁紹は劉協に対する忠誠心はなかった。
だから反董卓連合にいながら真面目に戦わず、劉虞の擁立を画策し、
曹操と共に朝廷の派遣した刺史や牧を追い出して勝手に官爵を自称した。
さらに袁紹は「献帝を否定し」「新皇帝の擁立に失敗している」にも関わらず、
偽の勅命をばら撒いて自分のシンパに官爵を与えていた。
袁術が帝位僭称する前から相当な不義不忠を行なっている。それが袁紹。

対して袁術は、
手下(孫堅・張バクら)に命じたとはいえ董卓と積極的に交戦し、
献帝の奪還を考えていた(=献帝の正当性を認めていた)。
何進は死に、董卓の遷都に伴って劉弁も死んだが、
袁術は漢王朝に愛想を尽かさず、朝臣らとも連携をとっている。
また、袁術は基本的に官爵を勝手に名乗った事はない(帝位を僭称するまで)。

袁術が帝位を僭称するまで(或いは曹操が劉協を奉戴するまで)、
袁術は袁紹・曹操などよりよっぽど漢朝に忠実だったと思うんだが。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 00:16:46 ID:ar0E8B1R0
まず逆賊認定されたから、仕方なく帝位を僭称したんじゃないの。
でもそれだとその後で袁紹や劉勲を頼った事と辻褄合わない?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 16:21:06 ID:V6N0Dy4y0
単に袁紹と対立してたからじゃないのかな。あと袁術は勝手に官位
与えたり任命したりしてるけどな。 後漢の要地汝南に拠るとはいえ最初
から兵隊があったわけじゃない後進豪族の袁術という立場を考えると曹操と
同じスタンスというのは分からない話じゃない。

逆に"忠実"だったという過去完了で話すると僭称したことへの理由ずけが
難しい。後漢に対しては献帝擁護というスタンスは必要だったが王朝に
対しては忠誠心はなかった〜から僭称したと考えるほうが自然じゃない。

そもそも献帝否定=後漢への非忠誠心というのも違う気がする。

そもそも後漢への忠誠心なんてなんの役にもたたんしそれを利用する事は
重要でもそれ自体は生き残りには無価値だから群雄の能力への付加価値
はないな。 諸葛先生だって後漢というコンセプトに無理があると気が
付いて前漢回帰してるし。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 22:27:33 ID:LdD9whWo0
張バクが袁術の下にいたのははじめて聞くけどどの行動からそう判断するの?
あと王允とともに董卓暗殺計画を練っていた張温が
袁術との内通の件で処刑されたのは
誣告って言われているけど本当だったってこと?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 22:34:12 ID:I9tA0Y4s0
>>103
曹操に負けた張バクは誰を頼った?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 17:39:11 ID:ioDk4qp30
頼っただけでは判断材料にはならないよ
劉表を頼った高幹は劉表の配下じゃないし
袁尚も公孫康の配下じゃない

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 17:05:51 ID:DM33rXnm0
「水を入れてる容器が割れたので無くなってしまいました」
この流れは酷いw 物語においてこれ以下の扱いにされた人物って他にもいるんだろうか?

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 23:53:50 ID:1z80VjCQ0
>>106
何の話?

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 08:06:16 ID:CYBJtDUV0
>>107
馬鹿発見

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 11:42:23 ID:UpwwO3v60
>107 たぶん、演義か横山光輝の袁術の最期だと思う
たぶん、と言うのは実際には読んだ事が無いからで。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 23:53:49 ID:F8C6EDYG0
107だけど109のおかげでやっとわかったよ
水くれって言ったら目の前で水がめ割られたんだっけ
それはそれとして
袁紹って袁氏内では人望ないよな
袁渙、袁胤、袁嗣、袁叙と董卓の殺戮逃れた袁一族は大概袁術のところへ行って
袁紹の味方って自分の子と
袁紹・曹操に挟まれて言うこと聞かざるを得ない袁遺くらいじゃないの
(202年に袁紹方で魏郡太守やってた袁春卿がいるけど
父親の袁元長が揚州にいるし
これ見るとhttp://www.weblio.jp/content/%E6%A0%97%E6%88%90
前任太守は袁術の謀略で死んでるから
そのあとに送り込まれた人間で
袁術が死んだあとに袁紹の仲間に入れてもらったんだと思う)

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 00:03:12 ID:lJv6B0SR0
そりゃあ、袁術が嫡流だもの。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 05:28:04 ID:8VBJlGDN0
>>110
袁紹は冀州、袁術様は南陽〜豫州に勢力を伸ばした。
袁氏の本拠は豫州汝南だから、袁紹よりも袁術様に付く袁氏が多いのは自然なこと。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 09:11:57 ID:JLOOEIGx0
宮城谷でも袁術の最終的な評価はやっぱり微妙だった。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 20:37:10 ID:VABAsKHJ0
敗北後の張バクが袁術を頼ろうとしただけじゃなくて、

・張バクと組んでいた陳宮はその後呂布の下にいたときも袁術との連携を取ろうとしていた
・張超が曹操に囲まれていたとき、救助に行ける体勢を見せていた(結局は救援ではなく徐州に兵を向けたけど)

ってあたりから、袁術と張バクが結んでいたんじゃないかなと自分も思う。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 12:03:30 ID:NAnsm8c30
袁術はどうすれば天下とれたの?

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 13:52:42 ID:i6bhPBAAO
漢室を保護し名士を集め人民をいたわっていれば
誰よりも天下に近かった。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 21:18:12 ID:J6OlSTws0
恩知らずの孫策を始めとして、土壇場で裏切る輩が結構いたらしい。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 10:52:06 ID:RQniPVE70
袁術にも思惑はあったにせよ、孫策からすれば大変だっただろうからな。
孫権は袁術の遺族保護してるし

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 11:05:36 ID:O+kbSpXG0
袁紹に較べたら、ずいぶん見劣りするが

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 11:58:06 ID:5U6wgu7x0
>>116
儒家的だな。はたしてそれで天下が取れただろうか。


121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:11:45 ID:zQxlBAub0
>>114
まず整理すると
陳宮は、呂布の妻が「公台は曹操からわが子のように待遇されていた」と言っている位でもともと曹操の腹心
張バクについてはこれ見てほしいけどhttp://www.weblio.jp/content/%E5%BC%B5%E9%82%88
若いころから袁紹の親友で、193年の陶謙討伐時の行動を見ても曹操の仲間であることは間違いない
曹操も袁術をこてんぱんにやっつけた後、家族に袁術の部下を頼れと言うとは思えない
曹操と敵対した後、敵の敵は味方ってことで組んだんだと思うよ
仮に郭貢が袁術配下で陳宮の求めに応じて乗り込んできたのだとしても
荀イクが両者が普段から連絡があったとは思えないと言ってるから
便宜的に手を結んだに過ぎないと思う
>>116>>120
袁術は儒教的に清廉の士ばかりを採用したんだと思うよ
袁術は許攸http://www.weblio.jp/content/%E8%A8%B1%E6%94%B8を排除しようとしていたけど曹操と袁紹は信任した。
才能よりも人格を優先するか人格より才能を優先するか
その違いが袁術が天下を取れなかった理由だと思う
なにしろ、天意が下ったとか言って兵を引き上げてくる紀霊とか
兵糧送らなきゃならないときに地元民に分配する舒仲応とか
使いものにならない奴らばっかりだもの

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:59:33 ID:VK5h1afL0
>>121
まず、「曹操が張バクを頼れ」って言葉は、
「曹操の下に張バクがいる」って構図を思わせるんだけど、
実際には「張バクの下に曹操が居る」んだよ。
反董卓連合が結成された当初、曹操と張バクは共に陳留で挙兵した。
張バクは陳留郡太守。対して曹操は無位無官。
でもって袁術は反董卓連合時に曹操の死の誤報を曹操の家族に伝えた事があった。
曹操は袁術の管理下にあったんじゃないだろうか。
だから、反董卓連合当時、袁術→張バク→曹操という指揮系統があり、
連合の解散に前後して曹操が袁紹側に寝返ったんじゃないかと思う。

袁紹は偽勅をばら撒いてシンパに官爵を与えていたというし、
曹操は南陽から進出してきた袁術をコテンパンに打ち負かしちゃった。
曹操が袁紹へ寝返った事で、
いつの間にか陳留における曹操・張バクの関係は逆転してしまったんだと思う。
>>121の貼ってくれたURLでは、
曹操が「張バクのことを仲間だと思い込んでいた」ことはわかるが、
張バクも「仲間だと思っていた」かどうかは解らない。
曹操は多分、張バクも自分と一緒に袁紹サイドに寝返ったものだと思い込んでいたんだろう。
でも張バクは、まだ袁術サイドにいるつもりだったんじゃないかな。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 00:40:35 ID:Ol2JJoCp0
エン州牧になる時陳宮とかの根回しって張バクにはいかなかったのか?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 16:48:55 ID:DqYS2L8/0
>119 結果だけ見れば大差ない。
過程でも途中までそれほどは。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 22:14:17 ID:QnzxCwXw0
衛茲http://www.weblio.jp/content/%E8%A1%9B%E8%8C%B2を曹操に付けて董卓を攻めさせたってのは
実際には張バクが部下の衛茲と曹操を派遣したってことかな
立場が逆転したのは曹操が青州黄巾を併合してからだろうね
でも張バクが袁術の部下なら、なんで袁術がもっとちゃんと支援してくれなかったんだろ

袁紹は反抗的態度で一族の長老の袁隗に「お前は袁氏が滅ぼすんだ」とか言われてるし
曹操と一緒に花嫁奪おうとする無法者
名門の嫡子として正しく生きるよう躾けられていた袁術とは両者ともそりが合わないんだろうね

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 10:42:47 ID:S0K8wizT0
袁術が曹操の家族に訃報を伝えたって何に書いてあるんですか?

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 10:58:56 ID:07u+/eqj0
>>126
卞皇后伝あたりに書いてね?

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 21:52:17 ID:Yn2/B3y00
張超が劉虞皇帝擁立の説得をさせるために臧洪を派遣してるから(臧洪は足止めを喰らって任務果たせず)、
張バク張超兄弟の意見が一致しているという仮定だと、
劉虞擁立に反対した袁術と張バクにつながりがあるとしても、あまりがっちりしてる感じはしないね。

と思ったら反対派の曹操が袁紹の傘下に入っているわけだし、あまり気にする事じゃないかな。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 21:53:32 ID:Yn2/B3y00
↑読みづらい文章になってるね。ごめん。日本語下手やな自分…。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 16:55:14 ID:+D+UNVXb0
袁術って黄巾討伐には参加してないんだっけ。
参加したとかいう記述もたまに見るんだけど

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 16:58:18 ID:+NqShLYh0
虎賁中郎将っつーから、
洛陽でお仕事してたんじゃないかな。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 08:10:02 ID:tKoLvzII0
後将軍って名誉職?

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 21:49:55 ID:ZSTtOHRS0
後漢書百官志
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/g_hyakkan1.html
つか、名目的にしても誰を討伐するために任命されたんだ?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 23:14:03 ID:tuWviWgd0
袁術は何進、何苗兄弟も歴任した河南尹に就いているし
何進の部曲の呉匡たちに真っ先に相談を受けて何進の敵討ちしてるし
何進のお気に入りで内外共に何氏勢力中で何兄弟に次ぐ重鎮と見られてて
何進勢力の名目的な相続者として(実質的には董卓に奪われてるけど)
何進系列の武将や文官たちを宥めるために
年齢がまだまだ若いから大将軍はやれないけど後将軍の位やるから
何進の遺志を継いで黄巾討伐してくれって言い含めて
董卓が任命したのかな?

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 16:59:32 ID:MnhbWCBr0
董卓って袁隗をはじめ一族を殺してるが
袁術は何で董卓になびいたんだ? 
帝を擁している相手だから、仕方なく従ったのか?

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 18:40:43 ID:YsVJLAGx0
袁術は董卓に靡いてはいないと思われるよ。後将軍に任命されたが、とっとと逃げ出した。
特にビジョンを持ってのことじゃなさそうだけど、反逆者になってしまった孫堅を保護したことで、
お互い渡りに船といった感じで、反董卓勢力を結成させた感じ。
むしろ劉表の方が意識してのことではないけれど、董卓に貢献した形になってる。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 22:52:25 ID:HGfQLrx30
董卓になびいたなんて解釈がどうやったらできるのか不思議。演義にはそう書いてあるのか??

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 00:41:10 ID:nFHBmlql0
>>136
劉表はそもそも董卓の意志で派遣されたんじゃないの? 時期的に考えて。
袁術・孫堅に対抗する作戦として洛陽方面に朱儁、荊州方面に劉表を派遣。
朱儁が袁術に寝返っちゃったから李カクを派遣。みたいな流れだったような。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 18:33:55 ID:WTfidUUg0
少し気になったことがあるんだが、袁術はちょっと調べれば儒家思想に傾倒していた
ことが伺える。ここはおまえらも異論あるまい。
では何故、袁術は三国志の中でこれほどまでに悪人扱いされるのだ?中国人の大好きな
儒者ではないか。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 21:16:05 ID:ovO3e0HY0
皇帝を僭称したから嫌われてんだろうが

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 21:26:54 ID:2Ruik2KA0
劉備や孫権も僭称しているんだがなあ。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:24:34 ID:HmpsBrtu0
新末に皇帝を僭称した公孫述はあまり嫌われてないな。
あと、河北を制圧しただけで皇帝を僭称した光武帝も嫌われてないな。
やはり、悪政を敷いて民衆を苦しめたのが袁術が嫌われた原因なのでは。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:26:56 ID:+myS72jz0
王莽は儒教原理主義による政治を行ったけど後漢代の儒者からは嫌われている。
それと同じようなことでは?

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:29:35 ID:2Ruik2KA0
結構前にあったけど、
曹操が袁術に失政・悪政の責任を押し付けたとも考えられるんだよな。

舒仲応みたいな奴を罰するどころか賞賛してるあたり、
あまり民を苦しめてはいなかったんじゃねーのかと思う。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:42:34 ID:yR5jO/wB0
孫策に対して信賞必罰を果たさないのはボツだろ。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 22:46:22 ID:NR4gq6Wv0
個人として優秀だったり義侠や孝心を尊ぶ人間が良政を敷くとは限らない。
この時代だと陶謙、公孫サン、董卓など評価や事跡に一見矛盾が見られたりする。
袁術の場合、兵士に好きに略奪させたのは兵を養うのに自分の財力を
惜しんだからじゃないかな。
自分の地位が安泰な限り、または自分の目に付く相手に対する限りは、
それなりに寛大にもなれる、そういう平凡な(俺らみたいな)人物像を袁術から
感じたりしてる。

で、後漢末に天子を名乗ったのは十人以上いたはずだけど、
袁術はその中でも飛び抜けて大きな勢力で、にも関わらず数年で
ぽしゃったのが評価の厳しい理由じゃないかな。
他の有象無象は評にさえ値しないわけで。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 20:55:04 ID:JZDgm6FW0
袁術はかつて長水校尉に在職したことがあるとか。
外人部隊の指揮官だぜ。かっこええー。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 21:13:24 ID:pBNxRlF20
儒教的な観点からすれば、数年で滅んだ(しかも滅び方がかなり惨め)のは天が
そういう差配をしたからとするしかない。なぜ天がそうしたかと言えば、袁術が
天道に悖る行為をしていたからとするしかない。では天道に悖る行為とは?→
という流れだと思うが。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 23:03:23 ID:v9/5ISAQO
>147 胡騎を率いるとは胡人と何か縁あったのかな

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 19:08:26 ID:suw3KJHF0
前に中国近代史の本読んで
孫文が1920年代に広州に立てた政権が当時のどの軍閥よりも税の収奪が激しかったとかあったんだけど
一部地域しか治めていないのに全国を統治する機構を作って全国平定の軍備を進めたらそうなるだろうな
袁術も南陽とか淮南とかごく一部しか治めていないのに朝廷作って軍備増やしたから
「悪政」にならざるを得なかったんだろうな

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 21:02:49 ID:eiIqSR0f0
徴税がちゃんと軍備に行ってはいなかったと思うなあ
税収→宮廷や後宮の奢侈へ
兵士の給養→勝手に略奪させる
って感じ。
これでは練度は落ちる一方。
しかも豊かだったはずの淮南が疲弊し切って
曹操との敗戦から回復できず、
結局袁紹の元へ逃げる羽目になってしまった

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 00:53:06 ID:ScRSi41+O
諸葛均も長水校尉じゃなかったっけ?
特に深い意味がある場合ばかりでもないと思う…

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 02:42:56 ID:9TazGpYD0
>>139
>袁術はちょっと調べれば儒家思想に傾倒していた
”傾倒”していたと考える根拠をくれ。
その当時誰しもが儒学的正当性を拠り所にして戦いを繰り返していたわけだが。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 10:39:37 ID:at5bjI2y0
>151 そこまで搾取を行っていたなら、
袁術が最後は殆ど身一つで逃亡しなければならなかった事に合点が付かない。
道すがらで首狩りに会いそうだし

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 20:58:20 ID:pcAyL97d0
>>154
一定の軍勢は率いていたようだよ。手持ちの兵糧が切れて出戻りしようとしている。
呂布や曹操との敗戦から立ち直る体力が淮南に残っていなかった
(或いは離反やサボタージュがあったか)ので青州の袁譚と合流しようとしたが、
劉備に阻まれるうちに病死。
という感じに読める。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 23:04:53 ID:4Pi1Oj600
>>153
うむ。確かにそうなんだけど、極端に儒家的なやつとそうでないやつがいるだろ?
儒家思想には、仁・義・礼・孝・忠などがあるわけだが、袁術の持つエピソードにはこれらを重んじていたと
思わせるものが多い。
例を挙げると、袁術の配下に舒仲応という者がいたが、舒仲応は戦争に必要な兵糧を独断で
民衆に分け与えてしまった、すると袁術はこれを咎めるどころか逆に褒め称えたというもの。これは仁だろう。
袁術は身分の貴賎を問わず、自分を頼ってくる者を拒むことがなかった。孫堅・呂布・楊奉・韓暹といった問題児
から朝臣の金尚やら。これは義だろう。
礼は今一つ確かなものが見当たらないが、孫策を太守にしなかったのは喪中だったからという説を採用するならば
これは礼であろう。陸積のみかんのエピソードは孝で、宦官討伐や反董卓連合での活躍は何進や朝廷への忠。

これらも建前と見るかもしれないが、舒仲応や紀霊などはどう考えても罰するべきだし、上記の問題児たちも
すべて受け入れることはなかっただろう。反董卓連合も他の群雄同様、傍観していてもよかったはずだ。
以上が他の群雄が名目上、儒家思想を利用していたのとは違うと思う点かな。

>その当時誰しもが儒学的正当性を拠り所にして戦いを繰り返していたわけだが。

ここまで書いておいてアレだが、具体的な例を教えて欲しい。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 23:26:20 ID:H2IX2SYx0
口を出すようだが、>>156が言ってることは、当時の武将なら誰でもやってることで、とくに袁術だけがやってることではないわけだが、
それでも156は「袁術は」と言い張るの??

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:18:34 ID:kmyf7Wh/0
>>157
何か言ってることめちゃくちゃになってないか?
そもそも「口を出すようだが」って日本語もおかしいがそれはおいといて

確かに当時の武将なら誰でもやったかもしれないが、
前提は>>139にあるように仁も礼もない昏君扱いになってる事への反例だろ
そして当時の武将が皆そういう事をやっていたのだとしたら、袁術も儒教的思想に基づいて行動していたと言える
誰でもやっていた=儒教的正当性がない ではないと思うけどな

ついでに儒教や漢室を蔑ろにしたというレベルで言うなら
曹操とかのほうが余程その手の脱儒教的エピソードに事欠かない訳でな

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:24:44 ID:DlGG6wnL0
不仁:袁紹との協和を軽んじ、呂布のような人非人を同盟者として頼んだ
不義:董卓という大逆を放置して党争に明け暮れた
不礼:信賞必罰を忘れ孫策一党を離反させた
不孝:拙い政治指導、戦争指導で一族をほぼ族滅させた
不忠:帝位僭称

>>156のような小さな善行で彼が犯した大きな悪行を打ち消せるものだろうか?
個人としては、それほど悪い人でもないけど善い人でもないということは分かる。
彼のスタートラインの優位優勢を考えれば袁紹、曹操に明らかに劣る出来損ないだ。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:28:50 ID:nJzyvB1E0
端的に言うと「匹夫の仁」だから。かな。
大きな権力を握ったにも拘らず、それを政事に生かすのではなく、
その場かぎりの感動で人を褒め、それだけ。
袁術の良いエピソードはそんな類のが多いよね。

そもそもの論の視点である>>139の「三国志」が
何を指しているのかが曖昧だけど。
演義を経由する現代のイメージを指しているのなら、
段階的なイメージの拡大と言うしかないなぁ。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:29:23 ID:kJsDSl8F0
>誰でもやっていた=儒教的正当性がない ではないと思うけどな
意味不明

>曹操とかのほうが余程その手の脱儒教的エピソードに事欠かない訳でな
曹操が忠臣である、などと言うつもりはないけど、袁術等の皇帝自称を超えるエピソードは無いね。


162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:56:03 ID:l+SVGn1V0
>>161
孔融とその一族を処刑したのはどうか?皇帝僭称には及ばない?とんでもなく脱儒教的だと思うけど。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 01:01:46 ID:PB5z6IiX0
>>162
それは孔融を大きく見すぎ
孔融は孔子の末裔で大臣だってだけで、別に儒教を体現する存在だったわけじゃあない
朝廷内の勢力争いの域を出ないよ

皇帝の胎児殺し、皇后殺しの方がずっとアレだろう

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 01:09:41 ID:OpV3BA730
でも孔融の主張って儒教本来の教えからはかなり逸脱したものなんだよね。
曹操ってやたら儒教の反逆者みたいなイメージで語られるけど、別に儒教そのものを否定したことないんだよな。
よく正史を読んでいくと結構曹操も儒教の教えに囚われてるようなところもあるし。

個人的に長い中国の歴史の中で儒教を真っ向から否定した為政者は始皇帝だけなんじゃないかなと思う。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 01:11:18 ID:OpV3BA730
>>164>>162宛てね

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 01:13:54 ID:PB5z6IiX0
>>164
禅譲という名の簒奪自体が、儒教の教えに背かないものだからな
孔子が唱えて孟子たちが理論化して王莽が実践した儒教究極の目的は「徳のある人は天子になれる」だもの

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 01:16:56 ID:kJsDSl8F0
>>164
渡邉義浩っていうセンセイは、孔融や曹操の行動も、総て儒教の範囲内で解釈できると言ってるよ。
そもそも曹操は漢臣の立場を取り続けたわけだから、儒学以外の思想による支配は元々眼中に無かった。
法律を多用したのもすべては治めるため。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 02:52:23 ID:pt1DhZqvO
>159 ちょっと言いがかりみたいじゃないか?
袁紹との争いは、責を問うならば袁術袁紹双方にだろう。袁術に一方的に非があるとする根拠には欠ける。
呂布は丁原殺害はともかくとして董卓を排除した事などが漢臣らに評価されている。
そして呂布の受け入れを考えた人物は多くいる。よしんば呂布受け入れを問題視するにしても
仁よりも忠や義によってこれを問うべきだ。

孫一門を高く評価し、親子二代に渡り援助を行った事実は消えない。
孫策の要求に応えなかったのは、彼の苛烈さを警戒したからに他ならない。独立の意志は最初から有していた。

袁術は戦争も弱いというほどではない。結果論に過ぎる。

朝廷を敵に回した時点で、袁術がどのような行動を取ろうとも逆賊の汚名は拭えなかった事だろう。
まさか曹操が朝廷を牛耳る中、出頭していれば良かったとでもいうのだろうか。
ここで問題にするなら「帝位を称した」事ではなくて、「何故に朝廷から敵視されたのか?」という原因だ。

悪行が善行に勝るという評価なら、それは最終的な勝ち負けによる評価が前提としてある。
>160のような結論もそういう視点だ。

個人的には袁術が儒教的人物だとは思わないが、人格や能力まで否定されるのも相応しくは無い。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 07:23:33 ID:DlGG6wnL0
>>168
単なる名門の貴公子で一軍閥の長ならそれなりの実力なんだろうが
統一王朝をにらんだ僭主としてはいかにも実力も人間性も微妙、というか落第。

それに相性最悪と思われる曹操に負けただけでボロクソに言ってる訳ではない。
彼の天下人への道をシャットダウンされた後の負け方はほとんど自滅と言って良く、
かなり恥さらしな方なので、やはりその最期に相応しい香ばしいお人柄だったように思う。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 07:44:04 ID:nJzyvB1E0
治世の凡候、乱世の凡主ならず、ってとこだな

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 10:27:03 ID:/qUC6KKk0
最期って、敗走して失意の内に病死だろ
そんなに酷い死に様かね。 

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 11:52:03 ID:mMRJs/1k0
人格や能力の優劣を問題にするのは不毛なやりとりになるよ。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 19:00:17 ID:SXwNLXBE0
いい議論だね。
袁術って唐末の秦宗権みたいな感じだ。
勢力範囲も似たようなところだし。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 12:42:50 ID:Ka+44Gyw0
>>171
その死に様が如何にも惨めで無様に描写されてるのが問題なんじゃないか

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 13:41:22 ID:arTKONwp0
それは描写される対象よりも描写する主体の側の問題だからね…。なんともかんとも。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 15:13:21 ID:bUkB7xpj0
試しに聞きたいが、その「惨めで無様に」描写された作品ってどれ?
それによって問題への対応が変わる

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 16:34:51 ID:AcXWN+Fp0
名門の貴公子で漢の忠臣を気取ってたのに何時の間にか帝位を僭称するも
孫策に背かれ、曹操にぼこられ、劉備ごときにも追い詰められる無軌道ぶり
何気にオールスター状態で虐められてるなw
本来、袁術はその三人よりは明らかに格上。
その割に活躍と印象が冴えないのは中身がかなり...で、
戦略性計画性がしょうもないレベルだったということだろう。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 18:58:14 ID:GofEEMl9O
というか、そいつらの勢力に三者三様の攻撃やら妨害やらを受けていたから弱体化したんだろ。
「負けるべくして負けた」という要素はもちろんあるが
それ以上に「負かすべく動いた」連中の存在があるという事。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 19:50:20 ID:SQM/MhNbO
袁術の外交能力って如何ほど?
それによって袁術悪:それ以外が悪
の比率がかわってくると思うんだけど。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 20:04:54 ID:RitWjQJ7O
どこまで成功していれば良い方に評価されるのだろうか?

助けを求められれば受け入れ、敵の敵とも結ぶ。
呂布と姻戚関係を結ぼうとした、李カクとも近付いていたと言えるかな。
しかし袁術が交わった彼らや公孫サン、陶謙らは
皆が皆 離反したか敗走していった。
結果だけ見れば、評価が芳しくない事にもなるかもな。

それに彼が結んだ連中も評判悪い奴らばかりだな。
李カク、公孫サン、陶謙
彼らは、敗死して当然みたいな言い方する人すらいる。
正史を通読するか、せめて三国志板のスレくらいは目を通していれば
そうでもないという事が自明だろうがな。
今はスレないけど

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 20:12:58 ID:1uPonTv+0
自分が寿命を全うし、後に直接的な禍根を残さなければ、かな>どこまで成功
君主じゃなくとも当てはまる。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 21:56:07 ID:lSjbvWMPO
>176 演義からしてそうなんじゃないの?
読んだ事ないけど

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 00:27:12 ID:U6sRxg1Q0
三国志群雄データファイルって本に滅茶苦茶書かれてる

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 01:00:03 ID:/t3eZabV0
>>183
ああ、あの華キンが
「正史と演義で性格が正反対だから義理は10点中5点」とか適当な評価されてるアレか。
あの手の本に袁術の真っ当な評価を求めちゃいけない。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 01:01:46 ID:IJ/3MhE1O
評価が低い奴を
付和雷同して貶めるなんて面白くも何とも無いのにな

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 01:42:01 ID:RE8Wv+z/0
ていうか、華キンは正史でも伏皇后を二重壁から引きずり出してんだけどな。
あれの著者は後漢書読んでなさそう。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 10:01:38 ID:N+CDCngw0
李カクとか公孫サンの擁護はまだ分かるんだけどさ、袁術の擁護っていまいち納得できない。
・敗北したから(皇帝を名乗ったから)記録上で醜化されたり悪行を押しつけられたりしたんだ
って感じのもの以外に説得力ある擁護ってある?

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 15:42:10 ID:RE8Wv+z/0
擁護するとかじゃなく、素朴に正史読んでたら袁術の実力が理解できない面がある。
ていうか、擁護って具体的に何のこと言ってるの?

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 17:43:27 ID:6MJPqZVr0
>>187
う〜ん・・・袁術は他の群雄と違って、特に擁護されてるようには思えないが。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 17:52:23 ID:GBTM0Q2G0
擁護してる自覚がない人って多いよね

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 18:44:45 ID:J3QCKgIs0
>>188-189
とりあえずこのスレを読めw

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 19:05:22 ID:RE8Wv+z/0
>>190-191
きみらの言ってる意味が分かんないんだけど、きみらの言う擁護って何?
擁護するとかしないとかいう問題じゃないと思うんだけど。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 20:20:07 ID:J3QCKgIs0
このスレの上の方には袁術を「擁護」している具体例が結構あるよ。
通説より良く評価しているという意味でね。
「擁護って具体的に何?」と問われれば具体例を示す以外にない。

その上で「それは擁護じゃない。正しい評価だ」と言っているなら、
そりゃ評価の基点の置き所が違うだけだ。
「歴史への評価に擁護なんてものは存在しない」と言っているなら、
それはまったくごもっとも。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 20:21:24 ID:J3QCKgIs0
×通説 ○一般的イメージ
だな

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 21:26:57 ID:73hX6KHf0
擁護というより、誤った認識を改める、といった具合にみえたけど。
三国志はとくに三国志演義等の派生小説などで印象を固定されがちだから
そういう蒙きを啓かせる論評という認識。読んでてそう思った。
擁護というのではなく、当時の社会の流れからして、袁術の称帝が
どのようなものであったか、というところなんでしょう。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 22:19:18 ID:N+CDCngw0
「袁術の擁護」ってのはこのスレとか他のスレで散見した
>>193みたいな言い方するなら「一般的なイメージに対する袁術擁護」かなあ。

いわゆる南陽地方に対する悪政に対する擁護として、後の曹操の悪政を押しつけられたんだ、ってのは正直いま一つ。
今のままだとそういう憶測推測もできるかなあ、程度で。
スレ前半でそういう主張してた人が居るなら、具体的に「袁術の悪政」をについて記されてる部分を挙げて批判するとかしてくれると嬉しい。

帝位僣称についてはそもそも擁護しようとしてる人が居ないっぽいけどね。
どっちかというと「曹操や袁紹も十分酷かったぞ」っていう相対的な袁術擁護が目立つような。
孫策を「恩知らず」としたり。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 01:42:55 ID:zL2sVz9r0
批判と誹謗が違うものであるように、評価と擁護は別のものなんだよ。
擁護というと、ものごとの善し悪しにかかわらず庇い立てることだろうな。
ここでやってることはそうじゃなく、善し悪しを見直そうってことだ。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 13:40:05 ID:HLpKdwFq0
南陽の「悪政」についてはそのとおりというしかない
原因として荊州中の官兵連れて董卓討伐に向かったら劉表に後方取られて
荊州中の兵の兵糧を南陽だけで徴収しなければならなかったからで情状酌量の余地ありといったところか
この地は張曼成、趙弘、韓忠と黄巾が3回も立てこもって殲滅戦になったから疲弊もひどかっただろうな
でも袁術が出て行った後、三輔地方からどんどん流れてきた避難民に婁圭が食料与えてるんだからまだまだ裕福だった

淮南の「悪政」については蝗害による飢饉が大きい
しかし劉勲が滅んだとき、袁術配下だった楽師や職工が3万人いたというのは「贅沢の証拠」といわれても仕方ない
ただ楽師や職工はすぐになれるようなものじゃなく何年も修行しなきゃならないものだから
この楽師や職工は黄巾以前からいる人間で、国土が荒れ果てた上に朝廷の支配領域も狭くなったんで放り出されたんだろう
黄巾以前なんか6千万人いたから3万人養えるけど袁術の支配地域なんかごく限られた範囲でかなり厳しかったはず
それでも自分を頼ってきたものを見捨てられず、かつ文化が絶えることを危惧して保護したんじゃないかな
陸績にミカンを与えたのを贅沢の証拠として挙げてた文読んだことあるけど
あれはあきらかに昔植えられたものを取ってきただけなんだからいいがかりだと思う

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 15:09:12 ID:2XjG4hl/0
>原因として荊州中の官兵連れて董卓討伐に向かったら劉表に後方取られて

劉表はホント余計な事しかしないな

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 15:11:51 ID:KkokVgxp0
劉表は董卓に派遣されたんだからそりゃ袁術&孫堅の邪魔するだろうさw

まあでも、同時期に派遣された朱儁みたいに袁術に寝返ったらもっと良かったかも。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 18:29:07 ID:tH1nj1+q0
袁術や孫堅の邪魔をしたのは董卓に派遣されたからではなく、あくまで「まともな」官僚たちを含めた「漢朝廷」に
治安維持を目的として派遣されたから、勝手な行動をする連中を敵視したんだろう。
「董卓に派遣された」としか考えていなかったわけがない。
事実劉表以外にも各地に有能な士が派遣されてるから、当時の朝廷の動きを全て「董卓」や「李カク」主導とみなすことは危険だと思ふ。


202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 22:35:34 ID:zL2sVz9r0
>>200
袁術を南陽太守に推挙したのは劉表なんだけどな。

203 :データファイル:2007/12/26(水) 06:21:10 ID:uSIBQqXJ0
統率力2点
決断力2点
戦闘力1点
洞察力2点
人望1点
実行力3点
戦略戦術3点
義理1点

各々10点満点

204 :データファイル:2007/12/26(水) 06:22:45 ID:uSIBQqXJ0
実行力=3点
これだけ非力で卑怯未練な男が
曲がりなりにもあの戦国乱世を一軍の将として生き抜いたという事実は特筆すべきで、
その切ない努力というか、悪あがきに免じてこの際格別に3点を献上しよう。

205 :データファイル:2007/12/26(水) 06:29:37 ID:uSIBQqXJ0
戦略戦術=3点
統率力・決断力・戦闘力・洞察力・人望のいずれをとっても劣るこの袁術が、
曲がりなりにも一軍の将となり、帝位を僭称し得たということ、
これは一種の奇跡かも知れない。
この際格別に3点を献上しよう。

206 :データファイル:2007/12/26(水) 06:33:39 ID:uSIBQqXJ0
袁術には生涯を通じて「友」と呼ぶべき人もなく、「尊敬」した人もなく、されたこともない。
三国志中、袁術ほど寂しく心貧しい生涯を送った男もいまい。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 06:36:36 ID:uSIBQqXJ0
以上、久保田千太郎という人による「評」



208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 09:21:13 ID:bgQAUG8N0
>>207
園田三国志の原作者じゃねーかw

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 14:08:46 ID:MgxQ3NTz0
ひでえ評だな、二方向への意味でw

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 14:10:59 ID:Hgvfoacp0
久保田氏は、時代劇などの脚本が多いが
三国志や墨攻といった中国ものの脚色なども書いている。
ライターとしてはそれほどヘタだとは思わないし最初から史家として評価は・・・

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 11:04:24 ID:2wvGKei00
>>206
それは曹操と袁紹についても言えるんじゃないのか?

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 21:54:30 ID:zm+ISpvJ0
その二人が悪友同士w

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 00:35:13 ID:6s/h7Fy/0
人気の高い人物のスレだとすぐ戦争の話題になるが、こういった人気の低い人物のスレって
あまり軍事は話題にならないよね。住人の質が違うのかね。

ってことで内政や外交、皇帝僭称等は置いといて、そろそろ軍事について語ってみまいか?
袁術は曹操と戦うといつもフルボッコにされてるが、袁術の軍隊って孫堅とか孫策とか呉景
といった孫一門が優秀だっただけなのか?それとも、ただ記述が多いから錯覚してるだけなのか。

それと曹真伝だったかに袁術が曹操を負かしたかのように見える記述があるが、あれは何ぞや。
曹操が袁術の追手から匿ってもらう話。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 00:45:05 ID:JebZnSij0
揚州における陳ウ戦なんかを見るに、
袁術の軍事能力もけっこう高いように思えるが。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 01:52:51 ID:zqPt6H3F0
袁術は陳を攻略してるんだが、詳しい状況があんまり記録されてないんよね。
劉備との戦いでもとくに失点ぽいものは見つからないし、そこそこいけたんじゃね。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 16:40:26 ID:5M9ZfyQ70
そういや袁紹や袁術の初陣っていつ頃?
曹操は黄巾討伐戦だけど。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 18:46:21 ID:bYR3yKDK0
生死をかけ戦いを初陣とするなら、宦官大虐殺じゃない?
でもたぶん、史書に出てない賊退治とかが初陣だとは思うけど。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 21:17:32 ID:os4K4m090
正史だと張勲や橋ズイたちを置いて小勢で逃亡したとかあって
部下を置いて逃げた臆病者というイメージがあるけど
本当に臆病者なら大軍勢に取り囲まれながら小勢を随所にしんがりに置きながら逃げると思う
(小勢で逃亡って、官渡の戦いで軍が壊滅した袁紹とか、部下が皆裏切りそうな牛輔とかで
 軍勢は健在だし橋ズイたちは最後まで戦うほど忠義は高いし当てはまらない)
それにこんな形で後詰めもなしに置き去りにしたら橋ズイたちが降伏する可能性が高い
これって街亭のときの逆パターンでやられたんじゃないかな

街亭のときって袁術が掎角の計やろうとして城外出たら
予想外に強く攻撃された袁術の陣形が崩れて
後退して陣形を整えようとするたびに攻撃受け続けて遠くまで後退しすぎて失敗
普通なら敵の城が落ちないうちに進撃すれば補給路が断たれるから
ある程度でやめて城攻めに戻りそうなんだけど
袁術をどうしてもここで殺しておきたかったんだろうな
置いてかれた形の劉詳は降伏。南陽人により殺害

だからこのときは袁術が城外に出れば
前と同じく曹操が袁術を殺したがって攻撃するだろうと考えて
しかも襲いやすいように小勢で出て行った
それで袁術は曹操を自領内におびき入れて
橋ズイたちに退路絶たせて挟み撃ちにしようとしたんだと思う
そしたら意に反して曹操は袁術を追撃しないで
街亭のときとは逆に兵法の常道どおり城攻めに取り掛かった

袁術は戦略家として曹操に劣ると思うけど
臆病者という評価はひどいと思う

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 22:18:33 ID:zqPt6H3F0
街亭って何のことかと思った…。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 00:04:33 ID:klwNFB1V0
>>218
何を言っているのかさっぱりわかりません。
日本語で書いてください。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 03:19:54 ID:hcmqSgAi0
いや、分かるだろう。日本語の読み方を学べよ。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 03:48:34 ID:Yy4Tonh40
文才は無いな。句点を使わないんだから。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 17:24:50 ID:YlWORLKEO
>街亭のとき
ここがよく分からないのですが

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 17:32:54 ID:QPbM7mwU0
匡亭?

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 18:00:08 ID:RvTyVtzo0
この程度で分からないとかいうのも想像力がないな。
相手に想像力を使わせる時点で微妙というのなら言えてるけど。
ようするに曹操が鬼畜じみた洞察力を持ってただけで袁術はしっかり頭使ってたよ、と言いたいのだろう。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 19:05:43 ID:QgF7tseI0
俺が悪かった
街亭のときは常識無視してどこまでも自分のこと追いかけてきたから
苦城のときも曹操は同じく自分を追いかけるだろうと思って城から出て走ったら
曹操に裏の裏をかかれて城を攻められたんで
「臆病で逃げた」というふうに正史に書かれているんじゃないかってこと

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 21:36:47 ID:iQvXMyNY0
>>226
街亭の戦いはお前の中では、曹操と袁術の戦いになってるんだろうが、
一般的には馬謖と張郃の戦いのことだ。
基本的な知識ぐらい身につけてから書き込め。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:23:05 ID:QPbM7mwU0
だから、曹操VS袁術のは、匡亭の戦いなんじゃないの?

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:48:30 ID:hcmqSgAi0
匡亭のこと言ってるって分かってるんなら、いちいち突っかかるなや…。
>218を匡亭で読みかえたら主旨は分かるだろ?

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:55:24 ID:RvTyVtzo0
訂正されたのに何度も誤字を繰り返すのは変じゃね?

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:57:41 ID:vDsSONGV0
自殺、売春、虐待、大量殺戮、女性差別、ホームレスは農耕社会になってから始まりました

天皇はA型で朝鮮の出身です。A型は2000年前に日本に来たから帰ればいいのに。
A型は100%農耕民族とはいえないがO型かB型にぜんぜん好かれないA型は
農耕民度が高すぎるから2000年前に日本の先住民族を大量に殺してきた
遺伝子、多そうだね。

遊牧民族は厳しい自然の中を小さい家族で移動しながら生活してきたので家族と他人の線引きをはっきりさせたと思う。
これをクールと感じる。だから、そのぶん身内にはあつくなるのか。

B型は遊牧民族、O型は狩猟採取民族。
A型は農耕民族。農耕民族は2千年前(つい最近)に、中国から日本に来た。A型は2万5千年ごろ誕生して農耕社会を
作ってきた。農耕民族社会になってから狩猟採取民族が大量に殺され滅び吸収され、ホームレス、虐待、売春、
女性差別 が始まり、強制的に横並び結婚し横並び子作りしないと女が生きていけない社会になる。
横並びの群れ社会(農耕民族社会)は無理やり敵を作り差別しないと作れない。これが、いじめ。
ブサイクで、もてない農耕民族はとくに性欲として横並びの群れ社会を作りたがる。

農耕民族社会はA型女も不幸になります。



232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 23:07:06 ID:QPbM7mwU0
>>229
訂正することを、ふつうの人は「突っかかる」とは言わんぞ。
そもそも誤字を指摘されたら、訂正するのがしごくまっとうな対応じゃないのか?
それとも、そう思うのはおれだけの主観かい?
またおれが間違っているなら、そう言えば済む話でもあるしな。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 05:58:14 ID:JJ+K9W5J0
>>232
いや、誤りの指摘のこと言ってるんじゃなくてさ。
「日本語で書け」とか「基本的な知識を身につけろ」といった人格攻撃はどうかと思うんだよ。
匡亭と読み替えればすんなり理解できることなのに、なんでわざわざ喧嘩売るんだよ。
>>226の人も、そろそろ何が指摘されてるか気付いてくれよな…。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 06:13:38 ID:G3aqDyK40
>>233
お前と意識を共有してる人間との会話じゃないんだから、
人名、地名と言った最低限のところを間違えたら物知らずってことになって当然。
人格攻撃でもないんでもないぞ。
いくらなんでも匡亭と街亭の間違いは酷すぎる。
烏巣と烏林を間違えるくらいの最低の間違いだ。
そしてその間違いのまま街亭街亭って書かれたら誰でも日本語で書いてくれって気になるわ。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 07:53:24 ID:JJ+K9W5J0
ひどすぎる間違いったって、あれが匡亭のつもりで書かれてることは察してるんだろ?
で、匡亭で読みかえたら理解はできるんだろ?だったら問題ないじゃん。
非難したり侮辱するに値するのかってこと。単に匡亭の間違いだよって言うだけでいいじゃんか?
筒井康隆はブルーインクのモンブランを買うつもりで間違ってブルーマウンテンを注文したことがあるらしいが、
筒井は日本語が書けないとか基本的知識がないとか思うのか?違うだろ。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 09:02:23 ID:12YLYGPe0
子供かよ。
おれは間違ったけど、そんなのはソッチが察してくれ。おれ悪くないもん
ってか?
そんな態度だから人格攻撃されるんじゃないのか。
それこそ、素直に「あ、間違ってたわ。ゴメン」で済むだろうに。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 10:28:49 ID:JJ+K9W5J0
俺に言われても困るんだが…。他人を代理して謝ることはできないんで。

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 10:31:00 ID:JJ+K9W5J0
>235のブルーインクのモンブランって変だよな。
モンブランのブルーインクだよ。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 10:40:24 ID:LZLRpt5G0
とりあえず>>236は、
>>233>>226≠ID:JJ+K9W5J0)だってことを見落としてるな。
さあ、「あ、間違ってたわ。ゴメン」の使い時だ!

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 12:01:20 ID:12YLYGPe0
>>237
なんじゃそら。他人の弁護に狂奔していたのか。
まぁ、それはこちらの人違いということで、勘弁してくれ。
>>229>>228へのレスではない、ということでおk?
おれは最初からつっかかってなどいなかったから。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 12:08:56 ID:JJ+K9W5J0
228とかどうとか特定のレスじゃなくてさ、
俺は他人のありきたりな間違いに非難や侮辱を加えるのはどうかって言ってるんだけど。
ましてや匡亭の勘違いってのが分かってるならなおさら攻撃する理由なんかないじゃん。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 12:18:33 ID:dTmGsstA0
DQN男の家族死ね DQN男の親死ね DQN男の友達死ね DQN男の親戚死ね
DQN男の家族死ね DQN男の親死ね DQN男の友達死ね DQN男の親戚死ね
DQN男の家族死ね DQN男の親死ね DQN男の友達死ね DQN男の親戚死ね
DQN男の家族死ね DQN男の親死ね DQN男の友達死ね DQN男の親戚死ね
ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ぬとき このレスの事思い出してくれよ
ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)


243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 12:20:01 ID:12YLYGPe0
>>241
ありゃ。まだひっかかってる?
非難や侮蔑はたしかに、する必要もないことだろう。
>>236は言い訳すると、誤字の人と同一誤解し、なかなか間違いを認めようと
しなかったもので、ついカッとなった。しかしそれはすでに謝った)

しかし、それをおれに言われてもな… ということになるのさ。
なぜなら、おれは間違いを訂正しただけで、非難や侮蔑をしていないから。
特定のレスは関係ない、みたいなこと言っているが、やっぱりきちんとアンカー
かけてくれないものか。
ちなみに、ここ最近のおれのレスは
>>224
>>228
>>232
>>236
>>240
だよ。
字や認識の誤りを訂正することは、非難でも侮蔑でもないことは、重々承知しているのだろう?

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 14:00:53 ID:53lK00f80
白痴上げ

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 17:58:33 ID:JJ+K9W5J0
>>243
あなたが何を言いたいのか、俺にはさっぱり分からないのだが…。
俺は他人の些細な間違いを取り上げて非難したり侮辱したりするなと言ってる。
別にあなたがそうしてるとは言ってないだろ?
泥棒を指差して非難してたら指先に横から入ってきて俺は泥棒じゃないと抗弁されてるみたいだ。
(しかしあなたは「態度が悪いから人格攻撃されて当然」と発言してんだよな…。)

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 18:16:13 ID:1I4uEU/Y0
>ID:JJ+K9W5J0氏
「街亭ではなく匡亭の間違い」と誰かが言った時点で、
それ以後は言われずとも訂正するのがまともな住人かと思われます。

それもせずに街亭のまま自分の話を続けるのは誤字を指摘なされた人に対して失礼ではないですか?
「おまえはこのスレの何を読んでいたのか?」という感じで。

私自身がそのような過ちを犯して人に注意されても改めなかった時、
多少強い言葉で非難されたとしても已む無しと考えます。
「誤字くらいでそこまで…」と思われるかもしれませんが、
そもそも正史を読んでる人でそれをやるのはありえない間違いでしょう。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 18:27:38 ID:PtpfvIQ0O
街亭くんは確かに馬鹿で最低だけど、もうどうでもいいじゃん

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 18:52:18 ID:JJ+K9W5J0
218から226の流れを見れば、彼が誤りの指摘を誠実に受け止めていることと、
にもかかわらず、どこが間違っていると指摘されてるかまだ理解できてないことは一目瞭然だろ。
だから、主旨が伝わってないと思って、彼は自分が何を言いたいのか説明してるんじゃないか。
自分の誤りを知りつつ故意に指摘を黙殺してるわけじゃない。
しかも「日本語で書け」と言われてるのは、かれの初回の発言の直後だ。
ありえない間違い?
筒井康隆がモンブランのブラックブルーをブルーマウンテンと言ってしまうのもありえない?
こんな間違いはありえないから、わざとでたらめを言ってると思ってるの?
どうかしてると思うね。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 19:46:42 ID:12YLYGPe0
>>247
間違いをした人は別に馬鹿でもなんでもないよ。
どうでもいいのには賛成だけど… でもやっぱ納得いかん。

>>245
まず、カッコ内のことについては、すでに陳述しているので、これ以上弁解する必要はないでしょう。
では、前にはぐらかした>>240の、こちらの質問に真摯に答えて欲しい。
>>229>>228へのレスではない、ということでおk?」
これが実はおれにとっては重要な問題で、粘着してしまう最大の理由なんだ。
というのも、君が一般論で言っている、
「他人の些細な間違いを取り上げて非難したり侮辱したりするな」
というのが、こちらにはまったくあずかり知らぬことだからだ。
だから、アンカーは正しく使って欲しいということ。ココ重要よ。
もうここまで来たら、答えはたぶん合ってるだろうけど、君のレスとして確認し、安心したいのだ。

そもそも最初に「匡亭の戦い」と訂正したのはおれで、他の誰でもない。
非難とおもわれているレスしているのもおれではない。
皆が、「街亭の戦い」を実は「匡亭の戦い」だと認識できたのは、どのレスあたりからだろうね。
正史持ってる人なら、ピンとくるだろうけど、そうじゃない人も見てるとか思わないかな?
つまり、そういう人らにとっては、どんなに文章がうまくとも、最初から「?」なわけだよ。

他人のミスをかばうのもいいが、訂正してやるのも愛情のひとつだと、おれなどは思うがね。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 20:00:10 ID:JJ+K9W5J0
>>229>>228へのピンポイントレスなんかじゃないよ。これで安心したかい?
他人の誤りを指摘するなとは一言も言っていないんだから。
俺が繰り返し言ってるのは他人の些細なミスを取り上げて非難とか侮蔑はおかしいだろってことだ。

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 20:05:58 ID:JJ+K9W5J0
つーかな、>>249は自分は非難してない、自分は訂正しただけだって、
ほんとに自分の行為をどう評価するかってことをえらく重要視してるようだが、
ちょっとした言い間違いで難癖付けられたり侮辱されたりしてる>>218の心情には
まるで無関心なんだよな。まったく愛情深いことだね。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 20:15:36 ID:12YLYGPe0
>>250
安心した。
あの時点では、君も「なぜ難癖つけられたか」は明らかにせず、いきなり擁護に入ったものだから
たぶん、>>218氏もどこを間違ったのか、ではなく文章の構成が悪かった、と誤認したんじゃないのか?
そう思ったけどね、こっちは。
文章は悪くないんだ。ただ地名を間違ったのがいけなかった。
だから、2回、訂正入れたけど、アンカーなしの君のレスが直後に来たもんだから
被害妄想まっしぐらってわけさ。わかってくれる?>>自分の行為をどう評価
言葉は正しく使わないとね。自戒自戒。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 20:23:48 ID:1I4uEU/Y0
もうやめたら?
この話題、袁術様と関係ないじゃん。引っ張りすぎ。

ID:JJ+K9W5J0氏は頼まれてもいないのに、ID:os4K4m090氏を擁護するのは止めた方がいい。
ただの擁護にしては過保護すぎるし、彼にしてみれば、
第三者にそこまでされるのはありがた迷惑というやつだろう。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 20:34:14 ID:JJ+K9W5J0
俺はだれも擁護なんかしてねえよ。
他人のちょっとした言い間違いを口実に嬉しげに人格攻撃してるやつを非難してんだよ。
けど馬鹿馬鹿しいからこの件についてはもう何も言わんよ。言いっぱなしですまんね。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 20:45:36 ID:8wYtBXIO0
>>254
スレ違い。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 21:17:34 ID:pP/KHvy3O
なんだか粘着厨と正義感を持った人が随分といい散らして去っていきましたな。
全く迷惑極まりない話だ。
結論:他人の迷惑を顧みない連中が一番厄介

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 21:18:25 ID:PtpfvIQ0O
まだやってたのか…
袁術もそんな偏執狂なとこあったのかな、なんて思うよ

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 21:41:56 ID:lhoJ5R5s0
俺のせいでここまで荒れてスマン
>>252氏の言うとおり
日本語がおかしいっていうのしか気が向かなかった
匡亭の戦いが正しい
全面的に謝る
この話は流そう

というわけで別の話だが
曹操が曹洪を派遣して献帝を迎え入れようとしたとき
董承と袁術の部将の萇奴が邪魔したって記事があるけど
これって要は萇奴の方が先に献帝迎えに来てて
董承と合意が成って一緒に袁術のところへ行こうとしたら
曹洪が献帝奪いに来たんだよね?

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 21:44:57 ID:LZLRpt5G0
>>257
袁術は解らんが、紀霊は偏執狂とは全く逆の性格だったろうな。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 21:53:12 ID:PtpfvIQ0O
>>258
詳細はともかく、その時献帝を影響下に置いてたのが袁術で、曹操が強奪を試みたのは間違いない
董承が張楊たちと仲違いして、董承が曹操にすり寄ったために曹操の拉致が成功したんだよな

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 22:06:48 ID:MspVHVyW0
袁術にそんな面はなかった印象があるな。
部下を恨んで殺すような真似はあんまりしない(精査すればあるかもしれない)が、
ものすごく気分屋。贅沢や欲を抑えられないが、人の美談に感動すれば素直に褒める。
ただし、褒めるのも単に感動したから褒めるのであって、
士や君としての道理を踏むわけではない。
そんな感じ。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 23:33:55 ID:rQjpV4E+0
なんかえらくスレが伸びてるなと思えば、おまえら喧嘩してたのかw
まぁ、荒れたまま年越さなく良かった良かった。

>>260
董承ってあまり知られてないが、かなりの曲者だよね。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 23:46:14 ID:12YLYGPe0
すまんね、みんな。
どうも史書なんてのを相手にしていると、些細な矛盾も
どんな矛盾かって明らかにしてやろうなどとなって、性格が粘っこくなるようで。

>>260
固有の武力をもたない人の処世術というやつか。
結局、曹操がつからを付けすぎると排除に走るし…

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 00:03:16 ID:EhS8lqyMO
董承も自分の兵は持ってたみたいだけどね(先の曹洪要撃や袁術討伐に出ている)
張楊や楊奉に独力では勝てないから曹操を頼ったんだろう
李カク政権の生き残りで数々の修羅場を潜ってるから、タダ者な訳が無い
ひたすら部下や同僚に操られた挙げ句裏切られた楊奉とは全く違う

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 22:45:07 ID:EhS8lqyMO
楊奉といえば、騙され裏切られる楊奉もアレだけど、徐晃の奸物っぷりが酷いよな
李カクたちを裏切るように仕向けたのも徐晃なら、曹操につくように薦めたのも徐晃なのに、最後は曹操方について楊奉を裏切るんだから
呂布より酷い裏切り者だと思うんだが

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 22:58:05 ID:MeDn4q0D0
>>265
だよな。
vs郭シ戦とか見る限り李カクと楊奉は結構息の合った主従だったのに。
この二人を共倒れさせた挙句、自分だけ曹操の下で出世する徐晃……。

そういえば、李カクは武力が不足したせいで、楊奉は政治力が不足したせいで、
それぞれ哀れな末路を迎えたんだよな……今気づいたが。

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 23:05:16 ID:sx5gv4TX0
判官贔屓も極まったな。どうしてそうなるんだ?
徐晃は自分と主のために力と能力のある曹操に付くのを進言した。賈クと同じ。
楊奉は張繍と違って曹操の下で大人しく出来なかったので対抗した。
徐晃はあとに残った。そんだけ。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 23:13:30 ID:EhS8lqyMO
おいおい
董昭伝あたりに出てる事情を知ってるの?
楊奉は曹操が協力しようと申し出たのを信用したら、それは曹操と董昭の嘘で、まんまと騙されて献帝を拉致されたんだよ
その詐欺行為に怒って曹操と戦おうとしたら徐晃が離反したために負けた
楊奉のバカさ加減も相当なもので同情する気はないが、裏切るタイミングからして徐晃の不義と利己心は否定できないぞ
普通なら曹操に裏切られたことを主と共に怒るべき場面だ

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 23:52:55 ID:sx5gv4TX0
董昭伝の方忘れてた。全体的に確認せずに適当言った。ごめん。
だが徐晃は梁を攻撃されてから帰順した順序になってる。
武将の降伏としては普通の展開だろう。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 23:54:00 ID:sx5gv4TX0
武将 → 部将

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 00:16:29 ID:/MHs4Mlw0
確かにこういう部将の降伏はそんな珍しくない展開だし、
裏切りが日常の三国時代で徐晃だけを不忠と責めるのは判官贔屓だったな。すまない。

でも、徐晃の主張を見るとやっぱり首をかしげてしまう。
李カクを裏切るよう進言しておいて、曹操には従うよう進言するってのは整合性が無い。
二人とも献帝を利用しようとしている点では同じだし、
曹操は朝廷の派遣した刺史を追い出して土地を占拠するなど名実共に逆賊だ。ぶっちゃけ李カク以下。
ここで曹操に従うくらいなら、李カクを裏切る必要だってなかったのに。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 00:21:55 ID:/MHs4Mlw0
あと、徐晃伝に書かれてる順序ってあんまり信用できないかも。
李カクを裏切らせる前の段階で「車騎将軍楊奉に従って〜」とかあるけど、
楊奉が車騎将軍になるのは李カクを裏切ったあとのことだし。

張コウ伝みたいに、裏切りの順序が全く逆になってる例もあるからな。
勿論、徐晃が裏切ったのが先だと断言するわけでもないけれど。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 09:41:29 ID:dEo3B3D90
>>271
そうか?李カクは先が無いからとっとと離れた方がマシ。曹操はよさげなんで
(自分自身が旗頭となって天下獲りに参加する意志がないのなら)従った方がいい
という主張で、それこそ賈詡とかわりないと思うが。献帝に忠誠があるのなら
なおさら、献帝の保護者としては強く安定した勢力を求めるのは普通だろう。
自分達だけでは守護しきれないと考えるのなら。
ついでに
>朝廷の派遣した刺史を追い出して土地を占拠するなど名実共に逆賊だ
この理屈では、そもそもほとんどの勢力が逆賊になる。逆に董卓は逆賊に
ならなくなる。董卓を否定したのに、董卓の縮小劣化版の李カクには従う
べきだってのはおかしな理屈じゃない?

また徐晃にだって主張や考えがあるだろう。楊奉自身がどう思っているか
はともかく、徐晃からしたら楊奉には天下獲りができる器には見えなかった
のかもしれない。だったら将来性がある勢力についてその下で戦う方がいい
とすすめるのは、普通だと思う。


274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 13:14:25 ID:MWzCw8JSO
当時、直接の主に最後まで忠を尽くすことを是とする倫理観があった
たとえその主が逆臣であったとしてもね
(関羽が有名だが、李カクたちも董卓に対して忠を尽くすためと長安に進軍したし、反逆者の部下が死をも恐れず晒された主の死体を埋葬しようとする話などが幾つもある)
もちろん全員がそうだったわけではないけれど、その倫理観に反する行為が良い目で見られないのは当然のこと
董卓に従いながら裏切った王允もそんな批判を受けたらしい
逆に言えば、利害だけで主を替えるのは指弾されても仕方ない行為
徐晃の李カクから離れるべきとの進言はこれに当たるだろう

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 21:10:30 ID:9CQ2sdqW0
うんんん?
徐晃が楊奉に対して「李カクから離れるべき」と進言したのは、
この時点では忠義だろう。まさに「直接の主に忠を尽くした」のだから。
その後、袂を分かったことには上の通り議論の余地があるが。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 13:35:24 ID:I1soHJedO
自分の主の忠義を邪魔する発言を忠と言っていいのか微妙ではあるが

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 02:58:24 ID:RZ3jBVtiO
袁術って楊奉らと同じく逆賊認定されてたの?

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 23:54:28 ID:0nAPrn/x0
楊奉が李カクに反旗翻したのは李カクが兵士よりも巫女を優遇したから
逆賊認定は呂布伝注に、曹操に擁された献帝から呂布へ
公孫サン、袁術、韓暹、楊奉はすでに賞金首だとの詔勅により確認できる
つか、何で公孫サンが筆頭なんだろ?
この時点だと公孫サンは皇族殺しで
袁術以下は「帝を拉致しようとした」という罪状でやや軽いということか?

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 01:33:01 ID:bRJxswj90
そいつらは当初献帝をかついでた連中だな。
追討令は献帝を奪い返した曹操や袁紹の意趣返しだろう。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 02:12:51 ID:qKJ+o10i0
最近ちくま版手にいれて読んでるんだけど、どんづまった奴は大抵袁術の所に行くな。
面倒見良かったんだろうか。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 02:41:19 ID:3iUqDZgs0
>李カクが兵士よりも巫女を優遇したから
そんなこと書いてあったか?
こぼれ話みたいな風に書いてあっただけで、兵士を軽んじたようには書かれていなかったと思うが。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 08:08:18 ID:kyEXQA5q0
>>280
大勢力だし、終始曹操と敵対したし。
196年以降は献帝側に付かない(ていうか追い出された)
人間の溜まり場になった観があるな

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 20:57:04 ID:kzmF5rhn0
>>281
スマン
あれ演義の話だった

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 23:18:12 ID:IiUMJJFS0
前の話題で今さらだが
袁術が南陽で搾取したって言われてるのって呂布のせいでもあるよな

「袁術は之を待すこと甚だ厚かった.
呂布は自ら董卓を殺したことを恃み,
袁氏に徳を有するとして,
遂に兵を恣にして鈔掠した.
袁術は之に患わされた」
           ほぼ訳後漢書より
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/g_ryofu.html

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 23:46:36 ID:jcTAzj+20
>>284
たかだか居候の呂布の「搾取」がそんな大規模なものとは思えないけど。
いわゆる「袁術の悪政」の原因の一つだとはとても思えない。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 18:46:16 ID:mT1P5j3O0
>>284
ごめん。南陽で搾取したって何のこと?どこに載ってる?よく分からん。すまん。

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 18:51:45 ID:f5rY8KDD0
呂布による搾取なら>>284の通り後漢書呂布伝。
袁術による搾取なら三国志袁術伝・後漢書袁術伝。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 18:52:43 ID:mT1P5j3O0
南陽戸口數百萬,而術奢淫肆欲,徴斂無度,百姓苦之.
もしかしてこれのことかな?
袁術の贅沢な暮らしは有名だけど、それで郡民が苦しんだってのは陳寿の誇張だと思うよ。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 18:54:34 ID:mT1P5j3O0
>>287
ありがとう。あとで後漢書のもチェックしとく。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 19:31:13 ID:f5rY8KDD0
>>288
ユニークな考えかもしれないが、それはつまり、
『搾取は誇張だが、贅沢ぶりは誇張ではない』と言ってるも同然なのだが、
二つの記述への信頼度の差はどこから生まれたの?

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 22:35:22 ID:ZIjDQ5g30
>陳寿の誇張だと思うよ。
まず根拠を示すべし。具体的史料を用いて。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 03:13:02 ID:NMuq6gyI0
そういえば袁術がやった贅沢って具体的な記述はあったっけ?

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 04:41:30 ID:3AE1zQd50
>>290-290
あのですね、正史ってのはもともと勝者の失敗をなかったことにしつつ、
敗者の成功をなかったことにするもんなのね。
実は重い課税はどの陣営でもやってることなんだけど、敗者だから特筆されるわけなの。
同じくらいのことは曹操もやってるし孔明もやってる。
敵国からは領民を収奪する苛酷な政治家だと非難されてるけどそれが当たり前。
袁術の贅沢は事実でも、たとえば玉の盃や黄金の車馬をそろえたくらいじゃ
数百万人の暮らしに大して影響しないって。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 07:43:20 ID:EFQiz05f0
またそれかw

残念ながらその論法は史料検証の手法としては落第だ。
曹操の重税や敗戦を直接的に書いていない、ということは出来る。
だが同じように曹操と敵対したはずの袁紹に重税の描写がなく、
袁術にあるという格差はどこから生まれるのか説明できない。
また袁術への評価の中である点は信用できるがある点は信用できないという。
その選択が無原則。
同じ史料の同等の条件の中で、他に対抗する史料がないのなら、
信用度は同程度でなければならない。
そうでないなら単に恣意でいいとこどりしてるにすぎないよ。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 10:41:29 ID:EACu6T0d0
おしっこかけられて「飲みなさい」と命令されてからゴクゴクやりたい

296 :295:2008/01/12(土) 10:42:07 ID:EACu6T0d0
すいません誤爆しました

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 15:37:47 ID:3AE1zQd50
>>294
袁紹に関しても重税の記述はある。すでに言ったが曹操にもあるし孔明にもある。

袁術に対する評価の一方を信用し、一方を信用しないというのが何を指しているのか分からない。
俺が言ってるのは、百姓の苦しみの原因が袁術の贅沢な暮らしだったという陳寿の推定には
根拠がないということだが、そこんとこ誤解してるんじゃないの。
だいたい過去の人間の評価なんか興味ねえですよ。あなたと違ってね。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 16:05:26 ID:qrqORmIW0
>だいたい過去の人間の評価なんか興味ねえですよ。あなたと違ってね。
こういう幼稚な発言はやめてください。卑怯だからさ。

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 20:05:19 ID:3AE1zQd50
後漢書によると南陽の郡民は240万人ちょっとなんだけど、
黄巾の乱を歴てまだ数百万もいると言ってるのがそもそもおかしいんだよ。
曹操の父は三公の位を買い取るのに一億使ったと言うんだが、
仮に南陽に郡民200万人が残ってたとして、三公を全部買ったとしても一人当たり150銭程度だな。
数百万人を苦しめるためにはせめて百回くらいは三公を歴任しなきゃ無理そうね。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 20:10:49 ID:3AE1zQd50
三国志だと「数百万」だけど後漢書だと「数十〜百万」だな。
たぶん後漢書の方が正しい。
しかし50万で計算してもまだまだ余裕だと思うね。

301 :290:2008/01/12(土) 20:34:47 ID:PyfKwc/90
>>297
ああ、なるほど。
袁術とその周辺が贅沢な暮らしをしたことと、民が苦しんだことは、
1:1かそれに近い割合で対応する原因と結果ではない。特に南陽の頃は。

というわけね。了解した。悪かった。
南陽の「郡民が苦しんだ」こと自体が陳寿の誇張だと言ったのだと思ったんだ。
酷政失政の要因の中では確かに贅沢三昧は大きな要素ではなかろうし。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 20:40:26 ID:3AE1zQd50
いや、俺もすまんかった。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 00:30:34 ID:joyzlleC0
張咨や陰修殺して住民感情が悪化してたから余計悪口言われるんじゃないの?

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 18:09:04 ID:YPBEZqiG0
こうやって熱い議論が交わされるのが、このスレの良い所だね。

>>295
おwwwまwwwえwwww

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 18:54:35 ID:Sft4JezN0
誰しも一皮剥けばこうだと、身をもって教えてくれた>>295よ。
君は偉大だ。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 01:35:30 ID:EhpwM9cB0
俺はかけられるよりむしろ直接口を付けて飲みた・・・
じゃなくて

後漢書呂布伝には袁術が呂布を歓迎して手厚くもてなしたって書いてあって
三国志呂布伝には袁術が呂布を信用できないといって最初から追い返してて
双方矛盾してるけど
これって陳寿が
呂布と一緒になって南陽で略奪した張遼が
魏の高官になって一族が有力者だから
憚って嘘の記述してるのかな?

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 01:38:49 ID:OQEWW5DL0
呂布協力者には陳群みたいな大物もいるからな
呂布関係で憚ることもあったかもしれんな

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 02:12:43 ID:BBC1f1fh0
陳寿が魏の高官に気兼ねする必要はないはずだけど。
張遼は子が扁将軍になっただけでその後羽振りを聞かせた様子はない。
陳家は大物だけど、陳羣が呂布の下に入ったのは徐州時代だから時期が合わない。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 02:39:48 ID:02AWrwND0
呂布、袁術のところにやっかいになる
呂布、態度デカイ、袁術いらつく
呂布、袁術が自分のことを暗殺しかねないと恐れ、去る。

こんな流れだったような

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 11:35:45 ID:wyGWGY/n0
ちょっと前に「袁術の贅沢程度で住民が苦しむほどの搾取になるはずがない」って有ったけどさ。
明で専横を極めた宦官の劉瑾が処刑されたときに
没収された財産が国家収入の数倍にあたる量だった、って見たことが有るんだけど。

(だいぶ時代は違うけど)権力者個人の蓄財がそれだけの量になり得るということは、
袁術個人の贅沢が、支配地域の住民に対して苛政となるほどの規模であったとしても問題は無いのじゃないのかと。

搾取って税率2倍とかそんな馬鹿みたいな値じゃなくても
1割2割増えるだけで庶民には苛政になるんじゃないのかな、とか。

そこらへんを疑問に思ったわけです。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 23:50:11 ID:oGPQnyI40
>>309
それは後漢書だけ
極端な言い方だと
三国志の袁術は頼ってきた恩義ある人間を門前払いした薄情者で
後漢書の袁術は敗残者を気前良く迎え入れたら大迷惑かけられた被害者
結構イメージが違うと思う

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 22:20:52 ID:Ew0JCkpL0
南陽時代について

陰脩殺したのはやはりただの景気づけ?
http://homepage3.nifty.com/mos/shishi/insyuu.htm

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 22:08:43 ID:CmZAaUQW0
>>310
劉瑾の場合国家予算の10年分を蓄えたと言っても5年?くらいの専横期間がある事をお忘れなく
しかも皇帝集権時代に皇帝の権限を好き放題振るえた状況だった

刺史でも牧でもない袁術は昔赴任してた時期の縁故等により南陽で割拠し始めるわけだが
縁故によって立ってる人間を支えてる側の人間が、そんな苛政を許すかね?
腕力によってもぎ取った淮南での割拠時ならばまだ可能性もあるか?と思いきや
旱魃の時に国庫から勝手に兵糧をバラ撒いた舒仲応を「立派だ」と褒め称えてる

ちなみにこの旱魃、三国志には搾取による飢饉と記され、後漢書のみに記載がある
三国志では「苛政のせいで」ということになってるが旱魃の可能性もあるわけだ
そして袁術の支配区域は漏れなく曹操の物凄い搾取のあった地域or戦場
どう考えても荒らしたのは袁術より曹操

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 22:29:01 ID:sxsou0QV0
ラス二行以外は同意。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 23:53:04 ID:kA8YBJ+W0
袁術については三国志「武帝紀」の屯田制を実施したとの記事の注がそのまま当てはまるな

魏書曰:自遭荒亂,率乏糧穀.諸軍並起,無終歲之計,飢則寇略,飽則棄餘,瓦解流離,無敵自破者不可勝數

(荒廃と動乱のため食料計画が成り立たず、敵もいないのに自ら敗れる者が数え切れないほどいた)

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 00:38:19 ID:ZTFed6OR0
魏書は曹操を神格化して時々嘘書いてるから油断ならんのよね。
その箇所は曹操に先見の明があり群雄の中ではいち早く屯田政策を開始したように印象付けてるが、
実際の曹操は農業政策には全く無頓着で呂布と対陣中に食糧不足で一時休戦したほど無定見。
棗祗らが提議してようやく重い腰を上げたところにその記述が挿入されている。
屯田政策なら公孫サンだって実施して易京に大量の食糧を蓄えたけど結局破綻してるんだよね。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 02:10:47 ID:ggqisdJw0
嘘、というか、曹操は良政を敷いたって記述が無い点でいっそ小気味良い人物ではある。
この時期の河南はそもそも荒れ放題でどこも兵站に苦労していたというのは大いに考慮すべきだろうけど。
それが袁術が酷政をしなかったという傍証にはならんしなー

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 18:16:06 ID:ZTFed6OR0
個人的には、正史の記述があっさりしすぎて誰の政治がよかったか悪かったかは判断できないと思う。
曹操や部下の統治でさえよく分からない。
部下の本伝だと何となくよさげに書いてるけど、
比較対象が示されてないので本当によかったのかはやっぱ不明なんだよ。
ただ少なくとも言えるのは、袁術とかそれ以外の群雄の領民が苦しんだとされるのは、
実態はほとんどが飢饉を原因とするものが多いってことで、
人相食むとか穀幾万銭に値すとか史料から拾ってくと、この時代の飢饉がいかに凄まじかったか分かる。
だから俺的には袁術が苛政を布いたかどうかってのは小さな問題だと思ってて、
善政だったと言うつもりもないし悪政だったという理由もないなと。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 21:47:53 ID:MT8sACQi0
大きな歴史の流れで言うと
後漢後期は政情が安定して農業生産も人口も増大していった
それが末期になると開発のやりすぎと木材の伐採しすぎで地力の低下や水害が酷くなった
農業生産力が減退に転じたのに人口は増えてばかりで食糧難
これへの不満が黄巾の乱で、騒乱で余計状況が悪化した
ただ、これは中原の状況で
袁紹、劉表、劉璋のところはまだ開発途上だったから無事
だからこいつらの統治はまだ良かったと言われている
曹操がうまくやっていけたのって
あちこちの黄巾の残党を攻めて溜め込んだ物資手に入れてたからだろ

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 23:15:59 ID:ZTFed6OR0
開発途上だったせいかどうかは分からんけど、
確かにそいつらの領地で大飢饉が起きたという記録は見当たらないな。
こいつらが寛容な性格っぽく思われてるのと関係ありそうな感じだな。

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 23:52:52 ID:MT8sACQi0
もうちょっとまとめると
乱開発で農業が破綻した黄河流域と
これから未開墾地を開拓していく周辺地域
ということで
これは文明の興隆と衰退のサイクルが回ってきただけで
袁術個人の資質の問題ではなく
歴史の必然だね

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 01:53:48 ID:LX7MXXlw0
必然というとちょっと行き過ぎな気が…。

そういやさ、史書ってのはたいがい名士豪族層の目線で書かれるもんで、
善政とか悪政とかいうのも豪族から見て得したか損したかって基準だったりするけど、
一般的に悪政を布いたとされてる君主のところは結構飢饉が起こって、
比較的に良い君主だったと言われてるところはあんまり飢饉がないんだな。
何か相関関係が見えてくるような気がする。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 02:01:04 ID:nK237aQj0
それは言えるが、河南で曹操と比較出来そうなのが袁術と陶謙くらいしかいないからな。
現実の各人の政治ぶりと三国志の記述の相関を論じるにはサンプルが少ない。
陶謙は賢人を遠ざけたとは書かれているが、特に苛政の記述は無いと思ったが。

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 12:13:44 ID:+gsKKVIB0
陶謙が苛政を敷いていたとしても
曹操の大虐殺の前ではそれも霞む
だから真相は謎

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 12:19:57 ID:+gsKKVIB0
あと、前近代の東洋では
徳がない君主がいると天が怒って天災を起こすと考えられていたから
完全に天災による被害で君主には防ぎようのない例であっても
君主が不道徳な生活を送っていたための天罰と判断される

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 19:06:19 ID:ygpb0k7Y0
袁術ってそういう超自然的な現象に対してはどういう態度だったんだろう?

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 11:50:02 ID:DYifL2Ut0
袁術を南陽太守に推したのって劉表だよね?

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 18:33:57 ID:22T7UP0j0
後漢書にはそう書いてある。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 00:03:37 ID:oEPqUHH30
>>326
超自然的には、当時のそれなりの態度なんじゃないの。
再考は面白いと思うけど、袁術自体 才能(群雄標準レベル)
皇帝僭称(前例多数)等オリジナリティもない歴史的にはどうでもいい
小物もいいトコなんだし。

再考済み袁術でも所詮この後の五胡の群雄の数段階下の人間なわけで。

彼に特別ななにかは期待できないでしょ。逆に根本は当時の既成概念
寄りじゃないの。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 00:19:10 ID:PEff0CdB0
袁術 = 塚の中の白骨

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 01:44:53 ID:vUX0VApH0
とりあえず即位に当たって
瑞兆云々は語ってないな
>>329
それを言ったらお終いだよw
曹操だってどんぐりの背比べで少し頭出てた程度なんだから

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 10:38:40 ID:2HCc1jqx0
そりゃ瑞兆云々を上奏するのは臣下の側であって
君主のほうから言いはしないだろう。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 19:07:02 ID:mv7h/kk70
イーストプレス刊「三国志人物辞典」
煽り文句は「豪傑達の能力が一目でわかる!!パーソナルデータつき!!」
早速読んでみた。

袁術は・・・・・・知力1、武力1、統率力1、魅力1、家柄10
家柄以外すべて最低値!!一目でわかった!!

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 03:01:29 ID:Ow0lZAZ/0
>>333
その手のネタでしかないような作りの本がまだ通用するのか。
出版不興が謳われとるというのに。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 21:04:46 ID:J7BzcxSGO
んなの出すより、漢文でも訳して出せよ

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 14:09:00 ID:c9M1sPxA0
袁術の評価について語るときに>>333のやつばかり挙げてるやつは何なんだ。同一人物なのか。

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 15:19:23 ID:AO4Z1FLr0
>>203>>333は別物だろう。
光栄の三国志1とのギャップが凄い。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 10:31:54 ID:2BY+FIyT0
光栄のは誰でもいちおう勝てるようにバランスとるようにしていたからおかしなデータのキャラが多い
その例がホウ徳

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 01:02:57 ID:lGNZ3dI4O
ホウ徳のは単なるバグだ

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 01:07:25 ID:hsYTHR160
郭図とデータが逆だっただけでしょ。

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 03:21:10 ID:o0CsAq0k0
>>340
そうじゃなくて両方とも知力と武力が逆になってるだけ。

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 16:26:19 ID:MYO8EFWm0
袁術  知60 武95
公孫サン知67 武70
董卓  知58 武91

こうなってた

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 16:27:26 ID:MYO8EFWm0
袁術  知67 武70
公孫サン知58 武91
董卓  知60 武95

こうなら納得できた

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 18:04:30 ID:KKLtJkuV0
猛将袁術萌え

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 10:55:55 ID:Pt7YFckG0
代わりに袁術軍随一の猛将紀霊が、武力57だぜ(ry

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 20:37:53 ID:qwOZsNzN0
袁術 知力60、武力57
紀霊 知力24、武力95
この方がよかったな

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 00:59:21 ID:5G0gJY6G0
三国志1は君主を召し抱えることができない。
配下の能力は上げたくないが勢力全体は強くしたいという理由で
袁術の武力を引きあげてるんじゃないか。

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 01:00:27 ID:XBVDHC6W0
ぶっちゃけ紀霊がそこまで評価される理由がいまいちわからない
呂布にびびって撤退したのと、袁術の最期まで身辺にいた以外に
他に見せ場ってあるんですか?

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 01:27:23 ID:GD+mgBkq0
演義で関羽と三十合打ち合ってる

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 02:03:58 ID:bpiWVydm0
光栄もどうせ思いっきり演義ベースなんだから
関羽と互角に戦い
疲労した状況で張飛とある程度打ち合って倒されたんだから
顔良や文醜よりも武力が上で良いと思うんだが

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 02:14:05 ID:GD+mgBkq0
加速関羽>静止顔良
関羽>弱気文醜

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 19:05:27 ID:ZnupXIc20
淮南って、蝗の被害とかあったんだっけ?

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 22:27:09 ID:EFCaINA20
呉景が広陵に着任した時期がよく分からない。
劉備が広陵取る前なのか後なのか


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read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
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