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■■  信長と曹操ってどっちが偉大かな?  ■■

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 20:57:52 ID:+Jc34pls0
いちおうどっちも当時のアジア最強の帝王になるはずだったのに
一歩手前で夢半ばでいっちゃたけど

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 22:22:57 ID:Wo+iZmp20
韓信は?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 22:49:49 ID:GC5Zr1Xu0
戦バカと覇王を比べてもらっては困る

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 00:00:23 ID:Wo+iZmp20
どっちが覇王??

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 00:02:28 ID:bup2r0A20
>>1
>どっちも当時のアジア最強の帝王になるはずだったのに

信長が本能寺で倒されることなければ、日本全国を平定できただろうけど、
外征は秀吉とそう変わらない結果になった気がする。

信長だったらきっとできた、という類の話は多いけど、
実際のところ、希望的観測が根拠になっているし。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 02:23:52 ID:I9bSz/H00
外征なんかしてないような気がする。
もっと友好的に行ってたと思う。

信長は新しいもの、見たこと無いものが大好きだから。

外交三昧だったんじゃないかな。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 02:29:49 ID:K7AYDOM2O
大体比べる時代が違いすぎるし。。。
千年以上離れてるしなぁ。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 11:28:04 ID:ukWu67bC0
曹操は北方騎馬民族烏丸及び鮮卑を鉄砲利用せずに殲滅した。
曹操は中国史上有数な政治家、軍事家、詩人。中国新たな曲風を開創したから見るともちろん上でしょう。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 14:40:22 ID:fynZWOPzO
どっちもローカルヒーロー

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 17:13:57 ID:RyGIeHg40
当時の中国は絶対的な優位性を世界に対してもってたわけじゃないからな
他にも同等規模の国が周りに多数存在していた
信長時代の日本は、当時の中国以上に文化的、経済的、軍事的にははるかに上だった
信長のカリスマ性なら、西欧の文化も積極的に取り入れ利用して
アジア最強の帝国をつくり、西欧以上の存在になる可能性はあったと思う
徳川は鎖国しちゃったけどね

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 19:42:35 ID:3sNsYnG0O
劉備のような儒教的な血統主義者は古臭い。
曹操こそ現代に肯定されるべき三国志最強の英雄。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 22:51:09 ID:/fmPpwFG0
ちょっと両方の歴史をかじった子はなんでこの二人を較べたがるんだろうね

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 23:40:16 ID:d94NKwBg0
曹操と信長が入れ替わったらとんでもないことになるんじゃね?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 08:06:24 ID:9AFa3GtM0
日本で生まれ育った曹操は想像できるけど、
中国で生まれ育った信長は想像しにくい。
意外と黄巾賊に加わってたりしてな。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 16:37:37 ID:sTMN8hGz0
10>>
信長時代の日本は、当時の中国以上に文化的、経済的、軍事的にははるかに上だった?
ごめんなさい、理解できない。特に経済と文化

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 17:23:59 ID:f4V5r5jR0
>>はずだったのに
これ歴史を語る時に使う言葉じゃないよ

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 21:05:43 ID:G8/L/vAKO
>>15
アホか。
戦国時代の日本の経済規模は異常だったんだぞ。
文化も西洋文化の流入と、日本文化との融合で異常な進化を遂げた時代だ。
例としては、安土城や鉄甲船とか色々ある。
その凄さなんかは、当時の宣教師の日記とか調べてみろ。


つーかいくら中国でも、たかが三世紀の国に負ける要素があるわけないだろ。
光栄や関帝廟とかのせいで近似な時代に思う奴が多くて困る。


そもそも比べる時代がマジで全く違いすぎて、本当に話にならない。
十四世紀ほど違うんだぞ。
分かるか?
千年以上経った時代の近隣国に勝ってるって、思い上がりすぎ。
常識で考えろ。
失礼にもほどがあるだろ。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 21:19:57 ID:f4V5r5jR0
>>信長時代の日本は、当時の中国以上
私にはこの場合の「当時」とは16世紀と読めるのだが

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 22:06:18 ID:CYeUz/hi0
3世紀の支那>>>>…

16世紀の支那>16世紀の日本

19世紀の支那≧19世紀の日本
20世紀の支那<20世紀の日本
21世紀の支那≦21世紀の日本

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 22:12:13 ID:CYeUz/hi0
ミリタリーに限れば、16世紀の日本≧3世紀の支那かも。
ただ、それが日本≧支那に直結しないのは自明。
自国の倍以上の人間を殺し尽くすことは出来ない。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 23:49:03 ID:BOo/opf+0
仮に明軍に対して戦術的な勝利を重ね続けても、
それが征服につながることはないだろうね。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 01:27:42 ID:C9CWRlh10
いくらなんでも16世紀の日本が3世紀のシナより下はないだろ
将単騎駆けをしてる軍と鉄砲三段うちの軍だぞ

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 14:38:31 ID:Gs9clL4R0
>>22
それ何時の春秋時代?(戦国時代ですらない)

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 14:48:06 ID:C7hYgP0f0
>>21
それ、なんてエロげー?

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 15:24:36 ID:YP8F+xi6O
>>22
三段ってww


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 17:50:43 ID:RMfHAD/J0
三段は実在が怪しまれているうえ、実在してもそれほど有効ではなかったと言われている

三国志時代はそれなりに弓が発達していたので、将単機駆けはほとんど無かったと思われる
(正史で一騎打ちの記述は1つしかない 孫策VS大史慈)

ただ、長槍などを利用した組織的戦闘技術はかなり発達しているので、
2〜3倍の戦力差なら織田軍が勝つのではないだろうか……

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 19:09:51 ID:Gs9clL4R0
支那の諺に「勇将の下に弱卒なし」とある。
これは急に支那兵が強くなるのではなく、
勝ち馬に乗って略奪・強姦・殺人を働く為にマトモに戦うので、
相対的に兵隊として「使える」ようになるという意味だろう。
国民国家の概念が無かった頃の兵隊などどこも変わらん。
強兵は強い。そしてそんなのは地球のどこにでもいる。それが事実。
だた軍隊に限らず集団というのは、その行動を劣ったものに合わせがちだ。
最底辺の足手まといが軍隊の強さを決定する。
両方とも、軍事革命過渡期の勢力に過ぎないので状況が結果を左右するだろう。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 03:10:09 ID:KCeHt+z/0
>>20
三国志時代の中国の人口は
戦国時代の日本の人口より少ないよ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 03:42:10 ID:KCeHt+z/0
うろ憶えで書いて気になって調べたら
実際は中国の方が多かったみたいだねスマソ

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 03:10:55 ID:sh07ZMUM0
何か戦国時代の日本と三国時代の中国どっちが強いって話になってる

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 15:18:36 ID:TVAtQZRN0
アホか
戦国時代はすでにアジアのなかで飛びぬけて文化、軍事、経済とぬきんでていたのに
唐がピークの中国と一緒にするなw

32 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/04/05(木) 15:27:33 ID:R3+Fo7Jb0
>>28
どちらも3000万弱位かと

戦国に三国志当て嵌めれば
魏…織田
蜀…武田
呉…毛利なんだろうが、
劉備級や孫権級の人材まで攫ってしまう信長は曹操よりカリスマ卓越してる



33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:26:01 ID:lv7HrT3H0
出身地人気で比べると・・・

信長=カオスなヒーロー、時代の革命児カッコヨスw
曹操=カス、墓でも荒らしてやっか?

国民性の違いかもしれないが曹操カワイソス。


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:47:56 ID:H9XH0T7U0
支那:末端<幹部<大幹部<頂点
日本:末端<幹部<頂点

超二流と半一流の低次元な戦いだな…

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 03:39:48 ID:iwgs9pHW0
唐がピークって言ってる人はネタ?

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 20:42:25 ID:wX1O/VUq0
一口に唐と言っても、強盛な時期と衰退している時期の差が激しいからねえ。

>>28
三国期は統計上の人口は10分の1ぐらいにまで激減しているけど、
それは政権の人口把握能力の低下によるところが大きくて、
戦乱で人口が大きく減ったのは事実でも、実際にそこまで極端な減り方はしていないと思うよ。

>>31
軍事力なら、比較次第では日本の方が明より上だと思うけど、
経済力だと、日本は逆立ちしても明には勝てないよ。

文化はそもそも比べられる類のものではないだろうし。


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 11:00:10 ID:WKrde7pR0
部下に裏切られて謀反成功して殺されてる時点で信長は駄目だろ

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 14:54:14 ID:PlES/Pv20
曹操も殺されかけたがな
息子が自らを犠牲に助けたけど

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 17:43:19 ID:bWwk/cMH0
息子の質なら曹操のほうが上

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 14:19:24 ID:MzB8pY+i0
一騎討ちの記述は少ないと言っているけど、なかったわけでもないようだ。
よく見る五代史のなかでは、意外と一騎討ち、あるいは敵将狙いの記述があったりする。
9〜10世紀のころの話だ。
将を討てば、軍が瓦解しやすくなるのはわかる理屈だから、ある条件下では有効な手段だったのでしょう。

あと、さかもぎで柵をこしらえ、騎兵の足止めをしつつ矢を射掛ける、というのはその時代にも用いられた戦法。
織田の場合はそれにプラスして鉄砲が加わって、より殺傷力が増えたといえるかな。

織田信長の時期、日本というのは金の産出量がすごくて、経済的にはかなりのものといえたそうな。
日本史はよくしらんから、知ってるひとに任すが。
仮に内より崩壊しかかった中華政権ならば、外圧に屈する可能性はある。
それは日本とて同じことだが、ようは海を難なく航海できるかどうかにかかってくるでしょうね。
それがあるために、大軍はおくりこめても物資が沈没したとか、現地調達したら民衆が牙をむいたということになるから。
中国の民衆は粗末に扱われたら、姿を晦ますか、積極的に反抗するかという二択になることが往々にしてあるから。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 17:32:08 ID:wpgDuemV0
信長ごときが曹操に勝てるわけない

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 23:57:21 ID:9F486m2+0
>中国の民衆は粗末に扱われたら、姿を晦ますか、積極的に反抗するかという二択になることが往々にしてあるから

万国共通。日本特にこの頃の民衆が酷政に素直に従っていたと思ったら大間違いですよ、

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 10:40:40 ID:gK7tBjWc0
>>40
金もそうだが、それよりも銀の産出量が多かった。
その点で確かに日本は金満国家だったけど、
経済力の基本となるのはやっぱり農業生産力。
その点で当時の日本は、長江流域を押さえる明にはとても太刀打ちできなかった。
明朝の経済政策はかなり下手糞と言えるものだったけど、
それと国の経済力は別の話。
当時は手工業でも明は世界の最先端を進んでいたし、
準鎖国とでも言うべき海禁策を取っていたとは言え、国内での物資流通は盛んで、
商業も大いに発達していた。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 18:44:29 ID:7QjByRbd0
少なくともいえるのは、信長は日本史上最大級の英雄なのに対して、
曹操は中国の英雄のなかではかなり小物だってことだよな
そんな曹操と比べられるぐらい日本の英雄はスケールが小さい

まああえていえば、曹操は部下に裏切られて殺されるような間抜けではなかったというだけ
信長よりマシ

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 21:54:29 ID:fM92WWXN0
44
たしかにそうとも言えるね、たしか陳先生も三国志の英雄は曹操も諸葛亮も
含めて二流、三流の英雄ばかり、だからこそ親しみが持てるのだ、と仰って
いたからね。
35
宋、元だろう?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:09:16 ID:SNol6qw+0
ピークって何を基準にするかにもよるけど、
経済、文化的な面ではまあ宋代が妥当だろうね。
軍事面で弱く、版図は小さいけど、後への影響も大きな時代だし。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:19:15 ID:6C1Iypt20
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:09:30 ID:A9Pw/kVz0
>>45
そんな小説家の陳よりも歴史家の堀が「曹操 三国志の真の主人公」と言う本書いてるぞ。
よめや。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:06:39 ID:2Xc6IDDo0
>>44
そんな貴方一押しの英雄とは?劉備とか?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:29:44 ID:uZas/G7e0
>>49
それを訊いちゃだめ。
曹操批判するおれスゲーの境地に入ってるんだから。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:07:57 ID:WyE+oqGA0
信長と曹操はありとあらゆるところが似ているが1つだけ似てないところがある
人を信じるか信じないかだ

信長は家臣をとにかく信用した 家臣に領土を与え、兵を与えた その結果滅びた
曹操は家臣を信用しなかった 家臣に軍を任せず、あの広大な領土はほとんど曹操1人の力で取っていた その結果天下統一できなかった
信長や曹操じゃなかったらあれだけの領土拡大は無理なのだが・・逆に最後の1手でポカる 詰め将棋までは非常に上手いんだけどね

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 19:02:09 ID:7IIx48sF0
ありとあらゆるところってどこも似てねえよ

曹操が家臣信用してない?あほか

曹操が軍を率いてない戦いなんていくらもあるわw

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 19:49:05 ID:qGOC30Kb0
信長と曹操の違いかぁ。
ひとつ思うんだが、信長って毛利水軍に負けたあと、それで萎縮せず対抗策を講じたが、曹操はどうだったろうか。
赤壁をそれとするなら、曹操はそこまで踏み込まなかった。
やっぱり信長に比すのは柴栄のほうが、事績が似ている気がする。
ただ人は信用しなかった… というよりしてはいけなかったご時世だったが。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 20:01:44 ID:XZd57zT30
>>43
当時の日本は、畿内とか濃尾平野のあたりの方が農業生産力=石高が大きかっただろうね。
関東とか未開拓の地が多かったし、越後や奥羽は、
当時では稲の栽培にあまり適してはいなかった。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 11:56:51 ID:B9ATigu+0
治水が上手くできていなかったのも大きい。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 17:15:05 ID:10I7E7W30
赤壁。自身九死に一生、国力傾くほどの大敗したら、普通は慎重になるんじゃない? >>53
毛利(村上)水軍と九鬼水軍の戦いは所詮、本願寺の補給路を断つための脇戦でしょう。
織田軍の主力は不参加、経済的損失も軽微。比較の対象としては不適当では?

あと、別板の類似スレでも後周の世宗を推してらっしゃるが、北宋に直結する大国の天子様と
尾張半国の出来星大名からのし上がっていった総見院では、事績が似ていると言われても。

私も多少の類似点は認めたけどね・・・

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 17:55:30 ID:JPZ9Agy+0
>>52
家臣を本当に信用していたらもっと権限を渡すだろ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 18:06:09 ID:/5q2I1F90
>>56
まぁ、表面的な比較ね。あんまり深くはつこんでないし。
でも、「類似スレ」ってなに?
そのものずばりスレで、比較表は書いてみたけど(この板だし)。
結構おもしろんだよな、両者の比較。似たもの同士というか…

で、曹操と信長の比較だけど、ずいぶん前のコーエー武将ファイルにある曹操の列伝とこで、似ている、としていた。
それはそれで納得だったし、高校の授業のときも、先生がやたら詳しく、似ているっぷりを熱弁していたっけ。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 20:06:19 ID:10I7E7W30
>>58

「類似スレ」とは↓のことです。
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1181822291/l50
ここの38さんとは別人でらっしゃるようで、これは失礼しました。
この件に関する愚見はこのスレの39に、魏武との比較もその
スレに披露してますが、まぁ信長ごときでは比較するのも恥ず
かしいだろ、ってのが本音ですな w

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 20:58:43 ID:/5q2I1F90
>>59
なるほど。
でも、信長も柴栄も、格が違うとか思わないんだよね。
人間社会の中で、その意思というか流れを作った象徴みたいな存在だし。
比較するのは面白いよ?
高平の単騎乗り入れ伝説とか、孫晟の鳥居強右衛門とか、水軍強国の度肝を抜いた闘艦とか…
あと、仏敵認定もそうか。
苛烈、短気、趙匡胤を馬車馬のごとく使い倒すあたり。
信長と似ていると思うのも無理ないと思うけどね。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:03:05 ID:10I7E7W30
>>60
まぁ、中華はもちろん、日本もそれなりの長い歴史を持つ国なんで、過去をほじくり返せば似たような事績の人間が
いない方がおかしい、とも言えますな。

教科書的ですが、確かに社会現象も似てる。
唐末の節度使と日本の戦国大名の類似性。
節度使の多くが軍の掌握を官僚制によらず擬制的親子関係に求めたため却って下克上的王権交替が頻発したことと、
いうまでもない日本室町末期からの下克上頻発の社会的類似性。

趙匡胤と秀吉も似た事績がありますよ w
禁軍を一手に掌握し下克上の象徴であった殿前都点検、太祖自身もそこから帝位に推戴されたんだけど、この職を
三権に解体し下克上の流れを断ち切った。農民上がりの秀吉が刀狩りで最下層の浮上を断ち切ったのと同じでしょう。

スレ違い、失礼。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:05:13 ID:BzG/EKo00
日本は封建制の残っている封建社会、一方中国は「専制国家」。
社会構造としては正反対なんだが。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:16:50 ID:/5q2I1F90
>>62
建前はね。だが、五代十国のときは日本の戦国時代と同じ「武人政治」の時代だった。
節度使という使職は観察使という民政と徴税権を兼ね、中央からある一定地域を任されるわけだから、形としては封建制に近い。
だからよく似ている。下克上もそう。
これは実のところ、後漢末も似たような状況だったのだ。
唐末と後漢末って結構似てるんだよね。

ちなみに、知っているとは思うけど、その武人政治で分裂した社会体制を、再び「専制国家君主独裁制」への流れを作ったのが柴栄。完成させたのは趙匡義。


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 16:53:15 ID:CgUZ6LDg0
つうか暗殺されない心構えは統治者としての基本的な素質の一つだろう。
其の点に関して曹操ぎりぎり合格、信長落第

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 18:01:41 ID:NdZJda240
言わんとすることはわかるけど、本能寺の変は暗殺と言うより謀反だ >>64
あっさり諦めてそこで死んだのも、統治者としてはどうかと思う。(まぁ死体が発見されてないが、死んだだろう)

なにより、久秀、村重、トドメに光秀と重用した奴からことごとく謀反された信長は統治者以前、人間性の問題だな w

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 20:16:17 ID:i4Vg/AeV0
>>65
信長の最近の評はそんななんだな。
おれ中国史ばっかだったから、信長評はコーエーのマンセーくらいしか知らんという…
>>重用した奴からことごとく謀反
確かに、柴栄ではないわな…。ううむ。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 21:20:47 ID:NdZJda240
いや、最近の評というより四百数十年、変わらぬ事実ですな。>>66

信長の革新性について行けないものが謀反を起こしたのなんだの、
この件についても、詭弁に近い擁護はあちこちで見受けられますが。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 21:30:23 ID:i4Vg/AeV0
>>67
言葉足らずで。
最近の評といったのは、昔はそういった(ネガティブな)事実を、あんまツッコンでなかったような記憶が。
謀叛された信長に問題、じゃなくて謀叛したやつに問題、という感じかな。
自分としては、異様にマンセーされるよりは、そういった負の面もきっちり考慮に入れるほうが、よけい個人が好きになる。
柴栄、柴栄言ってるけど、彼にだってとんでもないミスや、それどうよ?的なものもむろんあるし。
そういうの込みで好きなんだよな。
暗殺という件では、柴栄も趙匡胤暗殺説とかあるって聞いたが、詳細はしらん。
つか、曹操の話だよな… すまん。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:19:37 ID:NdZJda240
もちろん、修辞的表現であったことは承知してますよ。

何もアンチ信長というわけではなく、彼が日本史において一定の役割を果たしたこと、
英雄の一人として十分な資質を持っていたことまでは否定しません。
>68さんのように、マイナス面はマイナス面として正当に評価して欲しいだけです。

下から二行目、宋の太祖が後周世祖を暗殺したってこと?
うーむ、兄のためとかなんとか理屈付けて太宗ならやりかねん気もするが w

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:40:31 ID:S+p/z/xz0
謀反を起こされたこととか、虐殺自体は、そんなに評価を落とす材料にならないとは思うけど、
信長の場合、やたらと革新性が強調されすぎて、
何もかもが信長が独自に考え出したことのように言われてしまうのがどうもねえ。

楽市楽座とか、鉄砲の積極使用とか、他の大名が信長より先に似たようなことを実施している場合が多いし。
他者の優れた政策を選んで導入したわけだから、それだけで信長の優れた面を示すのに十分なのに、
全て信長が編み出したかのように捏造までされちゃ、
かえって信長を貶めることになっちゃうだろう。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 09:53:02 ID:geudxQxy0
信長には結構革新性とかはあったと思うけど、
些細な奇行とか、ちょっと変わったところがあると、
何もかもその革新性へ結びつけて解釈されちゃうのが……

最強英雄願望が仮託されちゃってる。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 12:25:04 ID:W4zrX4E10
>>69
趙匡胤暗殺説

どうもヨタ噺だったかも… さっとヤフってもかからんしね。
人づてのへぇ〜なそのとき話題だったから、気にも留めてなかったという…
趙普や趙匡義あたりは、かなり冷徹な思考をお持ちなので、そういう発想になりかねんからコワイ。
でもまぁ、趙普にしろ趙匡義にしろ、柴栄には恩義があるので、暗殺するほんとうの理由をもっているのは
実は趙匡胤自身だったりする。
暗殺にまで発展するかどうかは疑問だが、猜疑をかけられたことと、昇進が戦功に比して遅れたことが
北伐行前にあった、ということから。
猜疑は南唐からの言われ無き進物で、それはそのときありのままを白状して問題には発展しなかったが
柴栄の心にどういう影を落としたか、不安にもなる事柄。
昇進の遅れは、征淮南の最終的な論功で、ただ管轄節度が変っただけに留められたこと。
すでに禁軍の副司令官だったが、他にいろいろ加封できたはずなんだが、されなかった。
恨みに思うかもしれんね… 殺すまでいくかはわからんけど。

そう考えると趙匡胤は、働かされるだけ働かされ、挙句領地取り上げ喰らった明智みたいだ…w

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 14:48:59 ID:DO8T9hPV0
>>70>>71
結局、信長の革新的な政策ってのは、実際には他者の政策を真似た場合が多く、
信長の勢力が大きかったために、実施規模も大規模なものとなって、目立ってしまい、
さも信長が初めて創出したかのような印象を与えている場合が多い。

信長が、時代を超えた革新的な視点を持った天才なんて言われているのも、
様々な状況をそう受け取れるように解釈した場合が多くて、
確実な証拠というものがない。

独自の国家観、経済理論をもしかしたら持っていたのかも知れないけど、
書として遺したり、はっきりと説明してくれたわけではないから、
結局は推測でしかない。


74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 14:51:11 ID:DO8T9hPV0
つまるところ、統一を達成したり、長期政権を創業した秀吉、家康に比べれば、
これといった実績をはっきりと残せなかった信長は負け。

世界史的な視野で見ても、
源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康 >>> 織田信長
となってしまう。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 17:54:05 ID:djWdLF270
世宗を信長に比す貴方なら、太祖は秀吉に比定されていると思ってましたが? >>72

太祖が節度使から兵権を奪い軍閥解体に成功したように、信長が存命なら、天下統一後
諸侯から兵権を取り上げることが出来ただろうか? これが出来たら全く革命的偉業! w

柴田・羽柴・滝川など元からの家臣なら出来た気もしますな。しかし、降伏・臣従という形で
外様化した大名だと難しそう。そうなると天正十年時点の残存大名、全て滅亡させる ・・・
ってのも非現実的だしなぁ。あとになるほど抵抗激化で、信長の寿命が尽きて時間切れ、
地下に潜った滅亡大名の旧臣によるテロル頻発、織田家内紛で日本中、阿鼻叫喚か? w

まぁ、兵権回収という太祖の偉業は、東アジアでは例外的、奇跡的。
信長づれでは夢物語ですな。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 19:44:08 ID:W4zrX4E10
>>75
宋太祖は秀吉に比す、はもうデフォルトなんで、ちょっと違う角度から見ると、実は明智な面もあるかな、と。
宋太祖のあれは、皇帝権の回復と回復がなった後の強固な基盤がなければ不可能事だから、余計に異例です。
そうさせる流れ、というか大津波を起こしたのは柴栄の鬼の陣頭指揮ですが…

>>滅亡大名の旧臣によるテロル頻発、織田家内紛で日本中
実際、北宋も華南制圧といっても、南人・北人官僚の出身地争いや、旧後蜀領内での通貨の違いとか
まったく一色で染め上げられていたわけでもないしね。
とはいえ趙匡胤はリスクの排除にその価値があり、弟は稀にみる名君だったということが、この異例を現出した要因なんでしょう。
秀吉の後継に、成人で偉能な男子がおれば、また違ったろうけど、その偉能な男は家康だった、という話になるなぁ。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 19:59:28 ID:djWdLF270
大和大納言、あと20年の寿命があれば・・・って、豊家びいきは皆言いますな >>76

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 17:17:28 ID:Q0SO0UyW0
どーでもいいけど信長は本能寺から脱出したけど途中で伊賀物か武田残党あたりに討ち取られたという珍説がある
珍説だが脱出したけど誰かにひそかに殺されたというとこは意外と的を得てるかも
逆に信忠は天下人である父が死んで唯一人の後継者であったのに軽々しく二条城で戦ってるからアホ

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 17:48:50 ID:FOENQbBu0
>>78
お前のほうがアホ
あの状況でどこに逃げる
羽柴や柴田は遠すぎる 丹羽・信孝は軍勢すら集まっていない
美濃に戻ればそれなりの兵が動かせるが相手は光秀 逃がしてくれるはずがない

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 23:55:25 ID:5DcJ7l5m0
お前のほうがアホだろ
人でなしの源吾はどうして逃げれたんだ?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 09:14:06 ID:pnXqYp//0
どーでもいいことではないが、的は射るんだぞ?

82 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/07/02(月) 19:29:55 ID:7ZqHjFwO0
>>78
信忠も部下の進言で逃げようと思ってたのに
暗愚な信雄おじさんが腹切れ切れ催促してきたのが悪い

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:30:11 ID:kr6aF5uF0
的を射るのが実際には正しいようだが的を得るは小説などですらよく誤用されてるのであながり間違いともいえない・・・
というのが国語学的な結論らしい
とどっかで読んだ

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 20:44:02 ID:pnXqYp//0
>>83
本当に?
「当を得る」とごっちゃになってるんじゃないか…

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 22:50:13 ID:fy9eqTd+0
>>80
信忠が奮戦したから
皮肉なことだが、信忠が奮戦したから二条城からかなりの人間が逃げることができた

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:41:59 ID:3EGqbRT20
信忠は一応家督を譲られているんだし、みんなを見捨ててでも逃げればよかった。
ま、明智勢も信忠は最優先で討ち取る目標だろうから、追撃が激しいだろうけど。

仮に信忠が逃げ切って、明智光秀の謀反を鎮圧することに成功したとして、
秀吉、家康らは信忠を織田家当主と認めておとなしく従うだろうか?

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 00:55:54 ID:MXbCwwPq0
>>86
当主と認めるもなんも、あんたが書いたとおり、家督は既に譲られている。
曹操の息子達と違って、信忠以外はお馬鹿ちゃんが定説でしょ。
史実で信雄や信孝を担ぐ動きが出たのは、信忠が死んだからであって、
あんたの設定した状況で他家に出された彼らを御輿に担ぐメリットゼロ。

ただし、明智討伐に時間がかかった場合は、家康が上杉、北条、毛利、
長宗我部と組んで史実通りに信濃・甲斐辺りはちょっかい出すかも。
リスクでかいと思うけどね。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 15:18:02 ID:4LF7PZ430
いくら家康でも信忠が生きてたらそんな無茶はしないだろ
ただし秀吉などが織田家から離反したらその限りじゃないが

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 23:54:18 ID:miEE0uhy0
まず本能寺の変で織田信忠が生き延び、羽柴秀吉らによって明智光秀の乱が鎮圧されたとする。
この場合、織田信長の遺領と明智光秀の所領をどう分配するか。

恐らく一番手柄になるであろう秀吉に過剰な恩賞を与えると、
織田家にとって危険な存在になる。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 07:28:54 ID:Mx5Wryxf0
信長は革命家で曹操は教養家だからな

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 09:35:38 ID:EKPdddVG0
信長は革命家というのは創られた虚像だよ。
信長の政策は、他者が先行して行っていたものを、より大規模に行ったという場合が多い。

実際は要領のいい、バランス感覚に優れた秀才って感じだよ、信長は。


92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 20:44:45 ID:MqD/jycn0
小泉純一郎と江沢民ぐらいの差だろ

つまり比較しようが無い

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 20:59:34 ID:AseQhL2K0
信長は革命家じゃなくて応用者。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:05:46 ID:7zzDNB330
当時の感覚からいえば十分革命家だよ
現代人は現代視点で知ったかぶりするのが痛い

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:15:52 ID:fyu6U7sZ0
>>94
当時から生きていた方ですか。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:21:30 ID:uiKrYOjb0
>>94
そもそも革命家の基準なんて、今でも明確なものはないがな。


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 02:05:12 ID:Yxfzl+at0
チェゲバラやカストロと比べればいい
革命家なんて共産主義者ばっかだな

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 23:44:52 ID:sPLD0G0Y0
中国英雄は、誰一人として信長に及ばない
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1179742923/

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 10:51:51 ID:Jipg5bY50
また信長厨か

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 14:52:03 ID:Ee4jqCfj0
キレたら手がつけられないところとか
ムラがあるところとか
周りからあんま理解されないところとか

そっくりだよこの2人

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 23:32:22 ID:ZVzJR5Ot0
そういう人物ってそこそこいそうな気がする

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 02:14:03 ID:hGTEe5KIO
>>96
革命の意思を持てば、既に革命家だろ



103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 06:42:19 ID:qVWNWg5N0
じゃあ思うだけで何もしなくても革命家か

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 19:32:09 ID:9tEQ4GSR0
曹操は教養家、特に中国の体制を変えたわけでも時代を進めたわけでもない。
過去を尊び過去を模範することが正しいと思う典型的教養化。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 20:00:40 ID:xcvaO2RY0
正確には革命の意思を持って行動すれば革命家じゃね
日本の自称革新は権力持ってるから保守だけど

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 00:52:59 ID:VA6en8Le0
日本という狭い島国の一部分を領地にしてただけに男。
日本の数十倍ある大陸の三分の二を統一した英雄。
比べるまでも無くないか?


107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 01:18:03 ID:zNNNOVkN0
でも中国史の中では三国志ってヘボくね
曹操がいたからすぐに終わっただけかもしれんが

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 01:57:04 ID:vvdLQmJd0
>>106
領土だけで能力を語るなら古今東西チンギスハーンが世界一になる
そして俺はそう思ってる

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 09:50:34 ID:njft/SuZ0
>>108
それ多分違う。
ジンギスカン一代の領土は冒頓と大して変わらん。
モンゴル民族やイギリス民族?が最強とかなら判るが。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 14:27:28 ID:/moVcJ3q0
個人で取った領土最高は誰になるんだろう
ただ分裂したとはいえ同じ血族が広い地域を長年にわたって支配したチンギス一族はすごいよな

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 15:48:14 ID:WtDfG1Om0
>>110
劉秀に一票。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:45:21 ID:YigR8PYw0
明の洪武帝とかは?
アレクサンダーあたりもそうかも

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 17:36:26 ID:QXMlSMN00
領土の広さって(笑)
大日本帝国も領土広かったな

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 21:03:36 ID:sGWyg49s0
劉秀とか洪武帝は中国限定か?
それでも劉秀は中国限定でも1位にはならない気がするんだが
領土拡張という意味では

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 09:41:48 ID:J/ZWzplR0
>>106
掌握地域の人口、生産力、技術力は信長の方が上だぞ。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 10:31:26 ID:KzRn0zg20
人口は三国時代も戦国時代も大して変わらんからなww

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 10:39:44 ID:F8Hr64Al0
生産力・技術力は時代が違いすぎるから比較できないだろwww

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 12:59:47 ID:JDlRcWOZ0
>>116
三国時代の中国の人口:800万
戦国時代の日本の人口:1400万

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:26:28 ID:anyJHuj60
>>118
その情報はどこからだよ。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 03:47:22 ID:se9Z7oSU0
公式記録じゃなかったっけ
280年と1590年ぐらいの
戸籍もろくにない戦乱流亡の時代にアテになる数字とは思えないけどな

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 19:55:30 ID:g1I43tXs0
つーかやばい数の流民がでてる時代に何万の人がいるかなんてわからねぇじゃん。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 22:12:18 ID:L1a9pgrv0
>>121
信長と曹操を比較する上で必要なのは、両者が掌握してた人口。
こちらはきっちり記録に残ってる。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 23:08:13 ID:6Vb/XdZY0
>>122
曹操が掌握した人口って正史にある人口だろ。
豪族が自分の荘園で使役している人民は戸籍上には数えられないんだぞ。
正確な曹操の掌握人口は分からないんだよ。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 02:34:19 ID:FljO0ih80
信長天皇の実現性について

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 07:57:22 ID:HAw6cEQe0
>>123
掌握できる人口から税収が計算される。それが国力となる。
把握できる人口が少なければ、国家財政も悪化する。
唐の均田制崩壊まで、だいたいその路線で行ってるけど
逃戸の回復には各為政者はなみなみならぬ努力をしたものだ。
しかしひとたび戦乱が起きると、貧しい農民は先祖伝来の土地を手放すのもやむなし状態。
三国時代の人口800万というのは、国家が直接税や賦役を課すことのできる人数なわけだ。
それ以外は、もちろん豪族の荘園に小作として入っている土地を捨てた農民がいるが
それは基本的に国家の収益に直接関与しない。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 13:00:16 ID:Qs1X3/Fs0
確かに戸籍に載ってない人口を、掌握してるとは言わんよな。
産業革命以前は農地面積×人口が国力だから、版図の広さも国力の基準となる。
しかし通信と物流の効率、それに基づく統治コストという観点から考えるなら、
版図の狭さはむしろ有利な条件となる。

版図の広さが活きるのは、そこから税収を得る事が出来てこそ。
人的リソース欠いてるのに広大な土地抱え込む事は、
長大な国境線による軍事的負担、通信・物流効率の低下、
それらに伴う財政と悪化と統治コストの増大を招く。

要するに曹操にとって、広い版図とは弱みであって強みじゃない。
この点信長は、狭い版図、大きい人口、高い生産力という
矛盾した強みを兼ね備えている。

曹操と信長比較するなんて、単なるイジメにしか見えない。


127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 11:54:20 ID:dz2buCIc0
軍略的にはどっちが上だ?

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 13:29:15 ID:nOqB6/yK0
>>124
信長は多分幕府のような政権構想を考えていたと思うよ。
朝廷への圧迫度合いなら実は秀吉、家康らの方が上だし、
意外に室町幕府の機構に似たものを考えていたふしもある。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 09:03:00 ID:MrDYKQPA0
>>127
環境と条件が違いすぎて比較は無理。
が、あえて比較するなら、青州征服と美濃征服。
華北征服と畿内征服をなぞらえてみると面白いかも試練。





130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 09:26:02 ID:oVAxlx/n0
軍略でなら曹操なんかより三国志では孔明だろ。
孔明は赤壁・漢中と曹操に大勝してるしな。
いっそ孔明と信長を比較したらどうだ?

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 10:31:10 ID:m0N9T4E40
>>130
光明の戦術・戦略の無さは正史三国志を書いた鎮守にもこてんぱんにされているところだ。
光明が曹操にかなうはずがないのだ。
わかったか、にわか。
信長だって、何度も本願寺や浅井朝倉三好に包囲網つくられていたんだから戦略的にはたいしたことがないな。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 13:21:11 ID:ZZmIZTaA0
>>131
正史読んでないどころか嘘をつく馬鹿が知ったかすんな。
「応変の将略」に長じてはいなかったのだろうか?程度のニュアンスで断定などしていない。
あんな提灯記事のどこが批判だ。孔明は無謬でないだけで、十分巨人。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 14:42:49 ID:m0N9T4E40
>>132
「大史公曰く」の史記じゃないが、鎮守が評でそう書いている以上は光明は巨人ではなくて
よい政治家だと言うことだ。
光明死亡後も蜀の政治は滞りなく進んだ。

光明が5℃も無駄に出師したあげく、なんの結果も出せないでいるのが戦術がない証拠。
ハンニバルなら何とかしたかも試練が。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 15:40:56 ID:ZZmIZTaA0
正史の孔明はミニチュア曹操とでもいうべき出将入相の典型例。
どっちかだけなんてのはありえん。
また司馬仲達という三国時代でも最強クラスの指揮官がろくに手出しできないことから、
その批判は出鱈目でしかない。
粛清への予防だの八百長がどうのこうの言うなら、同じように公孫淵を放置するだろうから却下。
馬鹿も休み休み言えというのだ。

また、ファビウスを破れなかったハンニバルにしても無理。
馬ショクを使った奇策など弄さずに、
速攻で張コウを緒戦で退けるくらいはするだろうが、どっちにしても無理。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 16:31:53 ID:m0N9T4E40
>>134
違うだろ。
芝居が三国時代最強クラスの指揮官とはとても思えない。
芝居が公孫縁を電光石火で滅ぼしたのは自国の領土内の内乱であったからだ。
光明の場合は他国の戦争なんだから傍観していればいいんだよ。
ファビウスのようにな。
仮に指揮官が芝居じゃなくてほかの者で出陣して戦ったとしても光明がハンニバルのようにカンナエでした包囲殲滅作戦を
出来るとも思えない。
そもそも、ハンニバルのローマ軍に対する唯一の優位は騎馬の数にあった。それで包囲殲滅作戦が出来たのだ。
騎馬の数の優位性が崩れたザマではハンニバルとて大スキピオに敗北している。
中国では伝統的に歩兵が主体の戦いなのだから、カンナエのような戦いにはならなかったろう。
光明は軍略には暗かったと言うほかない。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 17:21:38 ID:ZZmIZTaA0
呉も蜀も正統な統一王朝たる魏が支配すべき中国の一部でしかない。
公孫氏は曹操の時代から既に半独立国。どっちにしても敵性の反抗勢力。
一つの中国に一人以上の天子はいないのが原則。

>光明の場合は他国の戦争なんだから傍観していればいいんだよ。
だから、この発言は馬鹿としか言えない。
仲達に求められた至上の結果は傍観とかではなく、蜀の野戦軍団の殲滅。
小国の迷将に梃子摺ったのではなく、孔明が名将だったと解釈するのが自然(三国時代の中では)

>仮に指揮官が司馬仲達じゃなくてほかの者で出陣して戦ったとしても
>孔明がハンニバルのようにカンナエでした包囲殲滅作戦を出来るとも思えない。

これも間違い。
孔明は騎兵による打撃力の不足を連弩部隊による火力で補っていた。
その戦術教義を継承・発展させた姜維は洮水の戦いで王経相手に殲滅戦を行っている。
つーか正史嫁。

おまえが盲信するハンニバルも、国内をまとめずに勝手に戦争を初めて、
本拠をがら空きにした補給を無視の戦略で、カルタゴを己の代でほぼ半壊させた馬鹿と言えなくも無い。
もちろん最強レベルの戦術家なのは確か。
だがそれをもってしても圧倒的な戦略的不利は覆せない。

結論。おまえが言うことは全然正しくない。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 18:01:49 ID:mggNJp9C0
そんな劣化専制国家相手にマジレスというのはどうか。
せめてまともに漢字変換してくれないと、内容以前に読む気がしないのだが。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 18:13:49 ID:m0N9T4E40
>>136
俺はあきれてしまった。
いかにお前が馬鹿だってことかがこの一言で十分分かった。
>仲達に求められた至上の結果は傍観とかではなく、蜀の野戦軍団の殲滅。

もともと蜀は兵站に無理があり食料補給もままならないから長期の戦闘は無理なんだな。
だから傍観してファビウスのようにしておけば自然に蜀軍は撤退するしかない。
魏の軍隊を損傷させることなく戦わずして勝つ、芝居のファビウス戦法の持久戦の方が効率がいい。

また騎兵の包囲殲滅はスピードが勝負。これは騎兵の攻撃力に頼っていたのではなくいち早く騎兵でもって敵後方に回って殲滅包囲させる戦法。
光明や胸囲とか戦術的にハンニバルとは思想が違う。ハンニバルの思想はアレクサンドロスの包囲殲滅に近いものである。

カルタゴのハンニバル戦争当時の本国の政体は貴族制で閥族があった。ハンニバルの父、ハスドルバルはカルタゴの限界をしり、一族あげてスペインに自分の領土を築いたのだ。
もともと国内をまとめるなんて考えはなかった。カルタゴは傭兵国家だから。さらに本拠はがら空きにはしていない。
新カルタゴには弟のハスドルバルをおいてきた。本拠地が落とされたのはこの時代でもハンニバルに比肩する大スキピオのせいである。
戦後ハンニバルは元老院で執政官に選ばれ政治家としてもその才能を発揮した。それをおそれたローマ共和国がなんくせつけたので、ハンニバルは亡命するしかなかった。
どのみちカルタゴは第一次ポエニ戦争に負けた時点で生き残る道はたたれたも同じだったのだ。

正史は前4史は読んでるわ。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 20:10:02 ID:ZZmIZTaA0
やーいやーい>>138ばーかばーか。おたんちん。

1 無傷の蜀漢と敵国内で戦う
2 無傷の蜀漢と自国内で戦う
3 瀕死の蜀漢と敵国内で戦う
4 瀕死の蜀漢と自国内で戦う

お前の意見を採用して征蜀をするとなると一番厳しい1となる。
ケ艾やショウ会の時は3だがそれでも厳しい戦いを強いられた。
これでは絶対に蜀漢の制圧など不可能。もう少し視野を広げたらどうか?アホ。
せっかく四川の山奥から穴熊が地元に寡兵とグダグダの兵站でのこのこ出てきたのに、
瀕死の重傷も負わせることなく「傍観して自然に撤退させる」なんて選択肢アホとしか言えない。
少なくとも「明日の誰か!後は任せた!」といった感じの一杯一杯の作戦だな。
お前が言うように孔明が雑魚ならそんな作戦取るはずが無い。
孟達や公孫淵のごとく速攻でフルボッコだろうよ。
この時点でお前の論は間違っている。いい加減認めろよおのれの恥知らずな知ったかぶりを。

>騎兵による包囲殲滅
なんか的違いなこと言ってるな。
「ハンニバルには出来るが孔明には出来るのか」とお前が言ったから論拠をあげて言っただけ。
騎兵は包囲殲滅には最重要な要素だが無くても代用は利く。
まあ、最高の戦果はそうそう出せないだろうがな。

あとお前の最大の問題はハンニバルには第一次ポエニ戦争でのハンデを考慮して同情的なのに、
孔明には荊州失陥〜夷陵の敗戦のハンデで戦略が大いに制限されているにも関わらず、
戦略が無いだの妄言を吐いてる点。
これはダブルスタンダードだろう。考察において最も唾棄されるべき行為。

あと4巻読んでから出直すが良い。プゲラ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 20:32:36 ID:fxcs6Po+0
曹操と信長を比べるハズがどんどんずれている・・・・・



141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 05:10:52 ID:skOxIHIY0
孔明厨とアンチ孔明厨はどこでもおっぱじめるからな

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 07:05:49 ID:q5bjkHz60
アンチ孔明厨が極論すぎるからだな。
ハンニバル厨もなんかだんだん目障りになってきたぞ。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 00:13:46 ID:9MYlTKhY0
>>51
一番似てないのは信長が政治家肌なのに対して曹操は文化人的な面を持ってたところじゃないの?
若い頃隠棲してたらしいし宗教的素質があったのかな?
他人への信頼度は同意だが、信長って実は方向音痴だったんじゃないのかな?

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 15:00:27 ID:Q77VhOAQ0
信長は天才とは思えないけど、バランス感覚は優れていたと思う。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 17:02:01 ID:xYaELe910
政治的、軍事的にバランス感覚が優れていた性格的にアレな為政者?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 18:58:35 ID:uqVgADfU0
そもそも>>1の書き方が悪い。
純粋にどちらが上かということを議論しあえる書き方にすればよかったのに。
そりゃ、孔明厨やハンニバル厨の乱入も招くよ。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 19:55:27 ID:z9O/tRfn0
信長より政宗の方ににてる曹操

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:53:35 ID:nRxV66/60
伊達政宗は田舎者という印象が強くて……

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 23:58:49 ID:90WmFap30
中国の伊達政宗と言えば誰が相応しいだろうか?
元祖独眼龍なあの人は違うわな。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 00:30:31 ID:n17ciYFh0
曹操は数千年経った現代でも、中国人に嫌われてるのはある意味凄いと思うw
最近は見直す動きも出て来てるけどね

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 12:02:51 ID:J2gUSmTN0
最近は曹操嫌われてないらしいよ。


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 14:21:03 ID:LNVWJkdf0
>>149
田舎者で、中途半端に天下への望みを抱いた勢力が対象。


153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 04:33:14 ID:jP7YTHjl0
なおかつ天寿を真っ当してる奴
中国では生き残ったって部分で引っかかりそうだな

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 08:06:09 ID:MOqWRLfE0
田舎者、中途半端に天下への望みを抱いた。

孫権さん・・・・・

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 15:53:16 ID:oRUjcLXB0
信長の最大の業績って、秀吉を見出したことのような気がするな。

秀吉の晩年は、暴政との批判も多いけど、
長期の内戦を終結させたことに伴うやむを得ない混乱に引きずられた面も、
大きいように思える。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 16:09:11 ID:6uDnSXGn0
信長はミャンマーの軍事政権のように武力で抑えようとする。
秀吉の如き柔軟性もない。
秀吉の野心を見抜けなかった。
秀吉によって息子は切腹や家臣にされて、子、孫、姪は側室。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 22:34:06 ID:2nvnD0hG0
信長は物語等では海外進出に積極的であったという描写が目立つ。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 23:32:41 ID:oRUjcLXB0
信長は、皇位を簒奪しようとしていたなんてよく言われるけど、
実際は、室町幕府を模したような政権を構想してみたいだね。
目的に上手く合致した政策を選択するバランスのよさはあっても、
言われるほどの革新性はなかったように思える。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 18:09:38 ID:TeuAyjDJ0
その場合何幕府になってたんだ?
尾張幕府?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 18:53:43 ID:pw4k4p2G0
>>152
公孫淵のことかー!

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 23:43:50 ID:QnLMSenL0
>>159
信長は大阪に城を築くことを考えていたらしいから、
普通に征夷大将軍となり、大阪に幕府を開いたかも。



162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 01:09:59 ID:UeKxRQsD0
>>150 お前は中国人か?何て千年渡ってもソウソウ嫌いって言い切れる?
   オレは好きであるよ〜

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 01:12:00 ID:LFUjPXWy0
>>161
大坂幕府ではなく石山幕府の可能性大

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 23:22:34 ID:6QZRHWyi0
信長が天下統一しても、結局は、
より権力基盤が安定し、中央集権度の高い豊臣政権になっただろうな。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 02:42:41 ID:kFf3DqhZ0
てか、曹操も信長も結局統一できなかったんだからなあ。
そこまで偉大じゃないだろ

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 16:39:35 ID:XHu4Cn5q0
少なくとも俺達よりは偉大。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 18:37:06 ID:KNZKsKbF0
統一たって、中国は日本の何倍じゃー!

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 18:41:52 ID:GrwkKoMU0
なんで曹操なわけ?

始皇帝や光武帝、李淵、明太祖、チンギスハーンのように
曹操より格上の奴なんてアジアにゴロゴロいるよ。
信長なんて日本の帝王にすらなれなかった時点で
引き合いにだされるほど大物とは思えない。
アショーカ王の方が曹操より業績は大きいと思うし

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 18:49:50 ID:GrwkKoMU0
始皇帝なんて辺境の秦を強国に育て上げて七国を滅ぼして
世界帝国を作り上げたのだから、呉蜀を滅ぼせなかった曹操なんて
始皇帝と比較したら三流だろ

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 20:45:05 ID:XgKLWb4z0
で、信長と曹操ってどっちが偉大かな?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 21:10:05 ID:jsJSJjhF0
支配圏の面積で断然曹操

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 21:59:07 ID:DMtTjWqK0
曹操はチビ

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 22:20:51 ID:lzQp1JYI0
曹操は中国では一流の英雄とは言い難い、あるいは一流と言えても、
その上には超一流が何人もいる。

織田信長も日本最高の英雄とは言えない。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 14:25:11 ID:0m6oUEiJO
中国史に変革をもたらした人物として、一流英傑入りしてるからどうでもいい。
統一事業の功績なんて司馬炎にあげる。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 21:23:25 ID:RFm0K+SE0
織田信長は結局のところ、三好長慶のスケールアップ版だろう。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 02:09:45 ID:15q/CqvA0
曹操なんて洪秀全やら毛沢東やら始皇帝や項羽に比べたら
全然殺してないじゃん
ここまで非難されるのはおかしい

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 10:33:26 ID:raHzifxd0
三国演義で、劉備を聖人君子にする都合上、
それを強調するために悪役を引き当てられたからね。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 22:29:30 ID:SzFVThtn0
呉の田舎侍にやられた曹操さんとナンバーツーにぬっころされた信長さんを比較してどうしたいのか?
結構有名な人比較?有名なのは確かに有名だ。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 23:43:32 ID:4oBLl8o+0
曹操は、その呉の田舎侍に致命的な打撃は受けていない。
死後も政権は存続したし。

織田信長は、本能寺の変で政権が完全崩壊した。
豊臣秀吉は織田政権の遺産を最大限に活用したとは言え、
織田政権そのものが存続したとはとても言えないし。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 15:00:36 ID:EPJx1UW70
赤壁の戦い自体実態がかなりあやふやだしね

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 23:11:16 ID:1iUuGCYn0
本能寺の変の後の秀吉の政権樹立の手際が鮮やか過ぎる

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 11:52:19 ID:7MrYZWm+0
事前に知っていたのかもね、本能寺の変が起こることを

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 18:46:49 ID:Cyemg54p0
事前に本能寺の変を知っていたということは多分ない。
ただ、突発的な変事に対応できる態勢を常に整えていたことと、
当時の織田家中で最大の軍事力を保持していたことが大きい。


184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 02:17:42 ID:y08NUAXaO
田舎侍とか名前すら出してもらえないことに笑った

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 22:35:51 ID:rwGXaae10
>>183
でも秀吉が黒幕って説あるよな?

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 23:00:02 ID:cXBTxeTs0
実際、明確な国家構想を持ち、改革を実行したのは秀吉の方であるから、
曹操と比べるべきは秀吉の方だろうな。

信長は何となく天才だし、後の秀吉、家康のおかげで、
持ち上げられている面が大きい。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:41:11 ID:36HCWK7l0
人望        曹操>>>信長
一族・子供の有能さ  曹操>>>>>>>>>>>>>>>信長
文才        曹操>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>・・

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 01:51:28 ID:umtF0lj+0
>>186
明確な国家構想を持っていたのは信長
秀吉は信長の勢力を受け継いで融和と調整で天下をまとめただけ
>>187
発想力 信長>>>>>曹操
外交能力 信長>>>>>>曹操
経済感覚 信長>>>>>>曹操

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 11:55:32 ID:Q4OASiME0
曹操はなにもかもが中途半端なんだよ。
文化の改革に尽くしたといっても、当時の中国が
儒からの逸脱を果たしたのは老荘思想による点が大きく
曹操は老荘の熱心な支持者でも推進者でもない。
それでいて、曹操自身は儒教道徳を踏襲した生き方を貫徹。
この時点で既にカッコ悪い矛盾が起きている。
中国の文化は儒、老荘の二大柱が根本といっても過言ではないから
その点をしっかりと踏まえて改革に取り組もうとしなかった浅はかさも
曹操のマイナスポイント。
更に大義作りも下手。
「魏」なんていう春秋戦国時代の地方政権の名を冠するより、蜀のように
「漢」の名を大々的に使ってアピールする方が受けるに決まっている。
曹操は己一人で漢の名を超えられるとでも勘違いしてたのだろうか?


190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 17:37:27 ID:9nNiVL3n0
>>「魏」なんていう春秋戦国時代の地方政権の名を冠するより

曹操の場合、自称ではなく「魏国王」に漢皇帝から封ぜられたのだから
その言い方は妥当ではない。
曹丕が魏国王を襲名し、漢皇帝から「禅譲」される形で、革命したわけだから
曹操の大義云々を言うなら、実は死ぬまで漢王朝の臣の身分を貫いた彼を
そう悪く言うことはできない。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 19:03:09 ID:Q4OASiME0
漢皇帝から封ずるもなにも既に漢政権を傀儡にしていた身分でしょうに。
漢の臣という立場を貫いたのなら、お上の身分を立てるために奔走すると思うが?
それに事実として漢皇帝をないがしろにした曹操の野心がきっかけで中国が分裂。
国力そのものが低下してしまい、結果北方異民族の侵入を招くハメに。
しかも隋王朝誕生までの長期による大分裂の時代へ。
永嘉の乱は中国史の恥部としても名高いものであり、曹操が中国の弱体化に一役買ったのも
のちの歴史を見てみれば明らか。
せめて天下統一を成し遂げるほどの才能くらいあればねえ。
中国史全体の事柄から見れば、曹操は本当に中途半端な人物じゃないかなあ。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 19:33:30 ID:9nNiVL3n0
>>191
別に、曹操が中途半端、と言うのに反論しているわけではない。
曹操が魏国王となったのは、任命させたにせよされたにせよ、
あくまで「漢王朝」の制度としての範疇を越えていない。
翻って、劉備の「漢」僭称は、まさしく自称。公式な任命でも譲渡でもない。
国士の意識が反曹魏にあるからこそ、その求心力たりえるが
本来なら、国賊以外の何者でもない。
それが許されたのは、易姓革命によって人心が動揺したからだろう。

ここからは思いつきなんだが。
唐末の末期的混乱の中で、朱温が梁国王から唐を簒奪したが、唐の臣下としての
立場を貫いた晋が反対勢力として起った(前からそうだけど、正式に宣戦布告)。
つまり、現主権に対するアンチテーゼ的な意味合いで旧王朝の名を出して、ある種の
人心を得ようとする政略的パフォーマンス。
このときは唐を継いだ晋が梁を倒したのはご周知のとおり。
漢光武帝も同様で、後出しの「漢」襲位。
曹操が漢王朝の臣下の中で最大権力者となったとき、簒奪や禅譲を迫らなかった真意に
こういった、既存王朝の崩壊による人心の乱離とか、それによる強力な反対勢力の現出
なんかを懸念していた可能性は?
そもそも劉備なんていう最大要因が燦然とある以上、うかつなことはできなかったのじゃなかろうか。

それにしても、なら劉備は呉になんぞ軍を向けている場合でなかったのも、結果論としてわかる。
その辺が、後唐李氏や後漢劉氏との決定的な違いか…
まぁ、そんな単純なことでもないだろうが、一応たわごととして一例をあげてみた。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:09:01 ID:RffRWlot0
>>既存王朝の崩壊による人心の乱離とか、それによる強力な反対勢力の現出

まあ、これは確実にあるだろうね。
事実、人心収攬ではまんまと劉備に軍配があがる結果になったわけだし。
劉備の漢僭称は確かに自称に過ぎないものだが劉氏の名、漢中の地という
大義名分を存分に利用したファインプレーだと思うよ。
曹操としてはもう意地になってでも天下を統一しないと自身が正統として扱われる事は
なくなったようなものだからね。
晋王朝が魏を正統と認めたのは晋の前身、晋の踏み台になった国というお情けから
きてるようなもんでしょ。
まあ、だからこそ結果を見れば曹操は中途半端な存在になるんだろうけど。


194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 19:18:52 ID:5Q+0um9i0
>>193
正統王朝認定はいろいろと難しいところがあるからなぁ。
中華の範囲というものを、漢字をもって言語とする地域という認識が古来よりあった。
だから、その漢字圏を統治できている政権が中華の統一王朝ということになるとして
分裂期も厳然としてあるわけだから、何をもって「正統」とするか。

まず考えられるのは、宋代士大夫の好きな「大義名分」。
この場合、特に顕著なのが《十八史略》における蜀漢の扱い。
ついで、地域にその正統をもとめる。
曹操というのは、その本拠が鄴、そして挙兵地が陳留、さらに擁し奉った漢王朝の京師が
許昌という、いわゆる「中原区」を完全に押さえている。
そして曹丕が皇帝に即位して大魏を建国すると、洛陽に都した。
洛陽は当然ながら、後漢朝の都として機能していた王城の地。
そういうあたりを押さえ、最大勢力であるため便宜的に「正統」とする考え方。
でも三国が並びたった状況で、ルーツ的に正統を求めるのはこじつけのような気がしないでもない。

まぁ五代十国時代になると、そんな概念吹っ飛ぶけどね。考えるだけ馬鹿らしいという。
だから欧陽脩なんぞは整合させるために、大義名分を採ったのかもしれん…

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 23:26:25 ID:RffRWlot0
三国時代以降から既に中国では曹操=悪とはいわれ続けてきた伝統のようなものだし
近年で不意に正当性を主張する事自体に無理があるようにも思えるね。
日本人には恐らく、信長コピーのようなイメージで見られてるからそれなりに
いい評価を得られてる可能性はあるんじゃないかな。
皮肉にも悪役扱いされてる三国志演義の隆盛があったからこそ、相対的に
正史の存在も浮き彫りになり曹操にも若干の評価が得られるようになったのかも。


196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 01:48:29 ID:itIkG0vg0
曹操age

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 08:01:32 ID:28FNYY5K0
>>195
中国だと魯迅の曹操擁護以降だよ
再評価されはじめたの
インテリ層や河北人は曹操スキーが多い
許昌に巨大曹操像建設中だし


198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 14:57:50 ID:Zk6yBOZZ0
河南省許昌市の魏武帝広場で、北京から運ばれてきた曹操像が組み立てられている。
許昌は三国時代の魏の都で、建国者の曹操(魏武帝)をたたえて像が設置されることになった。

高さ6.95メートル、重さ約200トンという巨大彫像は、
中央美術学院彫塑学部の段海康教授らがデザインした。今後約半月かけて組み立てる予定だ。
地元出身の英雄ということで、街も巨大立像の噂で持ちきりだという。

ちなみに中国では、
「説曹操曹操就到(曹操のことを話せば、曹操が来る=噂をすれば影)」という言い回しがよく使われる。
(CNSPHOTO)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1108&f=national_1108_005.shtml

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 21:27:54 ID:P3MYSh3o0
曹操の出身地は違うだろ・・・

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 23:58:41 ID:pOkZo6KU0
曹操のおかげで、許昌が一番輝いた時代になったものなw

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 19:15:11 ID:/mH0tWMP0
http://home.att.ne.jp/iota/ten_tairiku/osyashin/osyashin.htm

許昌も関帝の威光を帯びた聖所となっている。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 16:48:17 ID:uHgMN7JY0
>>200
この時代以外の許昌は確かにぱっとしない気が。

洛陽や開封の陰に隠れている。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 23:36:18 ID:pdDuTecZ0
許昌って、確か汝州と一緒なんだっけ?

204 :現代に顕われた織田信長の霊:2008/02/02(土) 11:56:34 ID:H22sUzmj0
http://www14.atwiki.jp/415mattari/

篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。

皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。

現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。

不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。


205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 23:57:35 ID:kD5WtDmU0
信長と曹操

どっちが偉大かわわからないけど
一つ言えるのは

信長は日本トップクラスの偉人
曹操は中国史では小物

スケールでかいな中国

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:28:03 ID:6AEoTT3f0
曹操は中国史では小物という意見は多く聞くけど

旗上げ当時は土地すら持ってないたった5千の私兵のみの勢力で
しかも儒教全盛の時代に宦官の孫っていうハンデ付で
それでも自分より強い勢力を持った群雄を次々に滅ぼして
ほとんどゼロの状態から当時最強の勢力を一代でつくり
時の王朝を乗っ取って自分の国まで建てたほどの男が

本当に小物なのかね?

だとしたら中国の英雄みんな光武帝レベルだなw


207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:34:51 ID:h0CndXsvO
なら異民族奴隷の石勒やみなしご半農民の劉裕は何クラスなんだ?

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:38:13 ID:6AEoTT3f0
石勒とかは光武帝と同格でいいでしょ

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:46:15 ID:6AEoTT3f0
郡単位の領土拡大的には曹操と劉裕が互角くらいじゃね?
石勒はちょっと落ちる
逆に光武帝は一枚上手だな

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:56:59 ID:h0CndXsvO
また大盤振る舞いだなあ。一枚と言わず二、三枚は上手だろ。
てか寒いお家柄出身なんて大した+にもなりませんよ、という話さね。
もっとも、別に曹操が小物だとは思わないけど。魏晋南北朝時代好きだから。
だがよくいる明好きやら宋好きやら清好きやら唐好きな方々からしたら
小物に映るのも無理からぬこととは思う。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:13:06 ID:6AEoTT3f0
一枚とかは表現の問題だから勘弁してくれ

袁紹とかの勢力やシバイとかの立ち回りを見るとあの時代の家柄ってのは結構重要だったと思うんだけど。

あと明の時代まで行くと人口や体制が変わりすぎてて比較できなくね?

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:23:46 ID:h0CndXsvO
うむ。
少なくとも他の時代に比して格別に問題にするほどとは思わんが。
そんなこと言ったら漢光武と魏武と宋武の比較だって本来なら成り立たんしなあ。
このスレなんざ問題にもならんw

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:30:24 ID:IGZtYMsc0
信長は政教分離など影響与えたけど、曹操は権力闘争以外特に後世に対して何もしてないからな

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:30:34 ID:FQ2oObgk0
唐宋好きだが、曹操を小物と思ったことはないなぁ。
あの人は十分傑物だと感じる。
まぁ、アジア最強の、とかはアホな妄言としか思えんけどね。


215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:38:32 ID:6AEoTT3f0
>>213
ただ単純に本願寺が敵対勢力だったから叩き潰しただけだろう。政教分離とかとは違う

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 18:54:55 ID:nUqN/vnf0
曹操もせめて道教神の升席にでも座れればねえ・・・
当地では1流の偉人はほとんど道教の神にも羅列されてるし。
偉大な人物といいたいのなら、中国では無視できない要素の一つ。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 05:13:16 ID:kTl4jPmD0
織田信長が室町幕府を滅ぼしたとは言っても、
足利義昭は、殺されはしなかったし、征夷大将軍を解任されもしなかった。

室町幕府はかなり不安定な状態が続いていたし、
将軍が京を追われたこともかなりある。

信長はもう自分で政権を立てる意思があったようだけど、
あれでまた将軍の復権があった場合、よくある政争の一つとして扱われたかも知れない。

滅ぼしたと言うよりは、結果的に滅ぼすことになったと見た方が自然かも。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:35:55 ID:3LVeCIJS0
本願寺も青州黄巾党も宗教的な敵対勢力だけど

信長は滅ぼして曹操は懐柔し自分の軍の要にすえたね。

降将をどしどし重要なポストにつけるのもそうだけど曹操のヒューマニズムは凄いと思うなあ。時代が時代だけに特にね。


219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 00:01:36 ID:EOjsWg600
降将を重要なポストに?
重役はすべて曹氏、夏候氏の一族が占めてなかったか?>曹操軍

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 01:26:27 ID:m2TidMva0
>>217
三好長慶も一時期将軍を追放して、室町幕府の機能を実質的には停止させたことがあるしね。
いろいろ都合が悪くなったのか、元に戻したけど。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 02:08:18 ID:XGy+mtWl0
>>218
徐州で大虐殺をやらかしたり袁紹軍の降兵8万を生き埋めにしたりするような人物にヒューマニズムがあると言えるだろうか。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 16:43:02 ID:WI3VWdXI0
>>219
張遼、張郃、徐晃、とかが有名所。重役っていうか、重用されてたっていうのかな
早くから重要な局面で使われ後々には各方面の司令官クラスに任ぜられてる

あとは曹昂を殺した張繍、カクとかを出世させてるし、自分を誹謗した陳琳とかも登用してた

自分を誹謗した陳琳とか

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:39:16 ID:GjvXCgS10
それ言ったら
信長も古参は柴田くらいで

丹羽、滝川、明智、羽柴、荒木とか
軍団長はたたき上げじゃないか?

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 19:39:42 ID:YJIdcKYq0
羽柴や丹羽、滝川は降将じゃなくない?

つい前まで敵だった連中にバンバン軍を与えて働かすってのはやっぱすごいな
信長も朝倉方だった明智をスピード出世させたんで確かにすごいけどさ
俺はヒューマニズムって話なら曹操のが大物感ある気がする

つーか俺は儒教のご時世に張繍、カク、陳琳とかを登用したのがすごいと思うね
とくに陳琳は曹操の親と祖父まで貶めてるからな
儒教的にはは自分の親への危害は何よりも耐え難いものだったから、そこを許してさらに取り立てたってのは確かにすごいね

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 01:19:39 ID:jvLuycCzO
つか時代がユルかったって事だろ

ヒューマン五十年

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 01:40:37 ID:jvLuycCzO
下天のうちを比較検討
夢まぼろしの相似形近似値
ひとたび受精妊娠出産〜
滅せぬものの存在不可能性〜
存在不可能性〜

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 02:02:31 ID:jvLuycCzO
まあ実際の所、曹操は
演義なかったらワリとフツーの多芸キャラだろ。
信長には秀吉や光秀はいたが、陳寿は居なかった

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 21:17:24 ID:0zeDES/q0
じゃ、信長はトウタクだな
壊して壊して壊したが、最後は臣下同士で争って自分の名残は無くなった。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 14:11:00 ID:nDz0OmUk0
まあ、曹操も信長も微妙な人物だしなあ。
「偉大」とまで言えるほどか?

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 22:54:53 ID:7D5tTpbC0
人によるだろうね。どこをどういう風に評価するか
そもそも歴史の人物なんてほかの時代の人間と比較してどっちが優れてるってモンじゃないし

話としては面白いけど「〜と比べて〇〇は偉大だけど〜は偉大じゃない」みたいな言い方は出来ん

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 01:43:42 ID:rv9DpA4YO
ひとつ確実に言えるのは、評価も分かれない程度の奴に、大した奴はいない。
多数決は、別に真実を見極めるためのシステムじゃないからな
そういう意味で、この2名は大した奴なんだろ

ただ曹操は演義バイアス掛かりすぎてて、実際の所がよくわからん
歴史が、学術的な好奇心や真実探求の対象になったのは、実はワリと最近で、
歴史はもともと、支配者の都合で作られるものであり、大衆が信じたいストーリーを提供するものであり
歴史と神話のあいだに大した壁はなかったのだし

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 11:29:46 ID:ZjZv6X9Z0
でも基本的に偉人、聖人扱いされてる人物の方が
普通に偉大と思えるけどな

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 00:31:20 ID:LVjW2Pbh0
そういうのは信仰の対象とか
実際生前にやった所と関係ないところもあるからな。関帝さまとか

いや別に関羽が能力ないとかいってるわけじゃないよ?例として

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 01:37:30 ID:fCR9XxkbO
だから、それを普通に偉大と思える大衆が多いから、
神話とか演義とか関帝廟みたいなモノが、提供されるって事だろ?
それはそれで別にいーけど、世評って要はバカの多数決だし、
そういう民の人気みたいな多数決的なモノは、ルソーや直接民主制ポリス以前の古来から、
独裁専制に対する安全装置として機能してきたが、
べつに、真実や最適解を求めるためのシステムじゃないからな多数決は。
ブレーキは制動力が高いほど優秀だが、ABSが制動力を高めるためのシステムではないのと同じ

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 16:51:25 ID:dBIluaXE0
織田信長も、一般に言われるほど日本史上で絶対の人物でもないし、
曹操とちょうど釣り合うんじゃないの。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 18:36:19 ID:LVjW2Pbh0
でも実際に人としてすごかった人なら人間としてすごさがそのまま伝わるはずだよな。
神格化されるってことは「なんとなくすごそうだけど実像がよくわからん」ってこと
だからこそ信仰の対象として人が願いをたくす媒介になる余地があるってことじゃないの?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 19:04:45 ID:HxTBo6ot0
>>234
中国に置いて「偉大な人物」ってのは別に真実と思われてる正史から
抽出されてるわけじゃないよ
基本的に偉大な人物と目されてる関帝や孔子、老子などは
その性格や考え方が反映して「偉大」な人物として語れてるんじゃないかな
関帝の忠義を重んじる精神、絶対無差別や平和主義を説く
孔子や老子はその思想そのものが愛されてるんだよ
一部の厚顔な学者が能力の有無で勝手な人物評を下すことが
「偉大」の定義なんておかしいでしょ?
ほっといても勝手に大勢の人間から慕われるからこそ
いつの時代でも偉大な人物として語られてるんじゃないかな

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 20:07:48 ID:g5fEvF6J0
国策に利用されるような場合は、その限りではないけどね。
わかりやすい虚像を提示すれば、多くの人は容易に操縦されるものだから。


239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 22:50:00 ID:jiGtZ0JR0
信長が比べる相手は曹操ではなく始皇帝だと思う

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 23:27:29 ID:HxTBo6ot0
>>238
もう意地でも認めたくないんだなw

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